SEQUEL〈6〉




「あー、おかえりィ。おめえの酒、勝手にもらったぞォ。あとで買って返すから、それでカンベンなァ」

「そんなことはいい。飲めないくせに、どうしたんだ」

「んー、すんげえヤな思いしちまってさァ」

冬香の口調が普段と違う。語尾に締まりがない。しかも、顔がほんのり赤くなっている。
すでに酔っ払っているようだ。

「なあ、話してもいっかァ? 聞いてくれっかなァ?」

「ああ」

「じゃあ座れよォ。おめえも飲めェ」

「いや、それは口に合わない。別のにする」

キッチンへ行って自分用のウイスキーを用意した京介は、
そのグラスを持ってソファーに戻り、冬香の斜め向かいに腰を下ろした。

「なんでェ? なんで口に合わねえんだァ?」

「俺には甘過ぎる」

「ふーん? じゃあ、なんで買ったわけェ?」

「コンビニの店長がくれたんだ。サービスだと言って」

「あー、ねーちゃんかァ。うん、いいよォ。ねーちゃんみてえな女は好きだなァ。
明るくて、サッパリしてて、母ちゃんに似ててさァ」

自身のグラスに酒を注ぎ足し、足元のちゃぺ用の皿にも入れて、冬香はぐびぐびっと飲んだ。
そしてチーズ・スナックを1枚つまみ、それを食べながら話し始める。ホテルでの女性との一件を。

「―――てなわけなんだァ。
そりゃあオレだって女に情とか全然ねえから、お互いさまっちゃお互いさまだけど、
でも、まさか金めあてで会いに来たとは思わなかったぜェ。
なーにが“お母さんを助けると思って ”だよォ。どの口でほざきやがるんだかなァ。
オレの母ちゃんはたったひとり、早乙女の母ちゃんだけだっつうのォ。
しかも、ぴーぴー泣いたり何度も謝ったり、心にもねえ真似しやがってさァ。ハラ立つよなァ、っとにィ」

そういうことなら、しょうがない。気晴らしをしたくなるのも道理だ、と京介は思う。
しかし、ちゃぺまで飲んでいるとは驚いた。
普通の猫ではないから、アルコールを摂取しても別に問題はないだろうが。

「ところでさァ、おめえ、どこ行ってたわけェ? 帰って来たら、いねえんだもんよォ。
ガッカリしちまったぜェ。くっついて匂い嗅ぎたかったのにィ」

「匂い?」

「そー。おめえの匂い嗅ぐと、なぁんか落ち着くんだよなァ。オレの精神安定剤みてえなもんだァ」

それは知らなかった京介だ。
スキンシップで安心感を得ることは、今までの冬香の行動から察していたけれど。

「どんな匂いだ」

「んー? んーと、タバコ。それからァ……あー、なんて言やあいいんだろォ? 言葉じゃ上手く説明できねえなァ。
なあ、今くっついてもいっかァ?」

「ああ」

「わーい」

嬉々として立ち上がり、少しばかり覚束ない足取りで京介の隣へ行って座った冬香は、
彼の腕に抱きつき、鼻先をこすりつけた。

「んー、これこれェ。これがほしかったんだよォ……………え?」

不意に顔をしかめ、クンクンと匂いを嗅ぎ直す。

「……なんだコレェ? もしかして香水ィ?―――あ……女かァ?」

「なにを言ってる」

「だって、香水の匂いすんぞォ? 女なんだなァ? 女んとこ行ってたんだろォ?
水臭ェなァ。カノジョできたんなら、教えてくれりゃあいいのにさァ」

「違う」

「ウソつくなよォ。隠すことねえってばァ。
ふーん、そっかァ、ついに恋人できたんだァ。良かったなァ。おめでとォ」

その言葉とは裏腹に、引きつった笑みを浮かべている冬香だ。

やれやれと思いつつ、京介はオレンジ色の髪を少々乱暴に撫でた。

「違うと言ってるだろう。帰りに乗ったタクシーに芳香剤の匂いが充満してたから、
きっとそれが移ったんだ。香水じゃない」

「タクシー? タクシー乗って、女んとこから帰って来たのかァ?」

「池部黒に行って来たんだ。ハイアッツに」

「へ……?」

冬香の目が丸くなる。

「……ひょっとして、オレを迎えにィ?」

「ああ。だが、途中トラックが事故を起こしたとかで渋滞してて、かなり時間が掛かった。
ホテルに着いてフロントで訊いたら、おまえはもう帰ったということだった。すれ違いになったんだ」

「あー……」

そういえば……と冬香は思い出す。
帰りに乗ったタクシーの運転手が「事故があって通行止めになってるようだから、
少し遠回りになるけど別の道を通りますよ」と言っていたことを。

「なんで迎えェ? オレひとりで大丈夫っつったのにィ」

「なんとなくだ」

「ふーん? でも、嬉しいやァ。あんがとなァ、わざわざァ」

「いや」

実は京介は、冬香が普通の精神状態で帰って来られないのではないかと考えた。
特にこれといった根拠などない。単なる勘だ。
しかし、悪い予感というのは大抵の場合、的中する。
だから、迎えに行った。
一刻も早く彼の状態を知り、愚痴をこぼしたいのなら思いきり言わせ、
頭に来たのなら存分に怒らせ、悲しいのなら疲れ果てて眠るまで泣かせたかった。

苦手だと言っていた酒に手を出したのは意外だったが、彼の気が晴れるのなら、それでいい。
今夜はとことん付き合うとしよう。

「―――あのさァ……」

京介の腕に額を寄せ、冬香が呟く。

「その女、相手の男のこと、すんげえ悪く言ったんだァ……聞いててヤんなるくらい、悪口並べてなァ……。
まあ、ソイツに捨てられたんだから、恨むのもムリねえたあ思うよォ……。
けどさァ、いっぺんは自分がホレて、結婚まで決めた相手なんだから、あんなに文句タレなくてもいいんじゃねえのォ……?
オレを作ったヤツらって、ちゃんと愛し合ってなかったんだよなァ……なんか、ムナシクなっちまったぜェ……」

「……惚れて結婚まで決めた相手だからこそ、じゃないのか」

「え?」

「そういう相手だからこそ余計に恨みが募った、ということだ」

冬香は小首をかしげた。

「えっとォ……カワイサ余って憎さ百倍、ってヤツ?」

「ああ」

「……じゃあ、ちゃんと愛し合ってたのかなァ……?」

「たぶん。そうでなければ、結婚までは決めないだろう。ただ、長く続かなかっただけだ」

「ふーん、そっかァ……だったら、ちったあマシかなァ」

冬香の顔に、ふんわりと笑みが浮かぶ。

ちゃぺが甘えるように鳴いた。どうやら酒の催促らしい。

「おー、すげえな、おめェ。実は酒豪かァ?」

京介がテーブルの上からボトルを取り、皿に注いでやった。

「おまえももっと飲むか」

「飲むゥ」

冬香のグラスに入れると、酒はなくなった。

「えー? 終わりィ?」

「ほしいなら買ってくる。同じものでいいか」

「んー。じゃあ、オレも行くゥ」

「ここにいろ。ほかにほしいものは」

「えーっと、なんか喰いモン。お菓子、全部なくなっちまったからさァ」

「わかった」



京介が買い物を済ませて戻って来ると、冬香が愛猫と一緒に床の上をごろごろと転がり回って遊んでいた。
微笑ましい光景ではあるが、そんなことをしたら更に酔いが回ってしまうだろう。

「あ、おかえりィ。―――ほら、ちゃぺ、ガンガンいこうぜェ」

ひとりと1匹はソファーに座り直し、また飲み始めた。
冬香の顔は真っ赤に染まり、ちゃぺの目は瞼が半分落ちている。
それでも、揃って飲むのをやめない。快調なペースで消費していく。 

「……おまえ、本当に酒が苦手なのか」

「苦手だよォ。けど、コレは別ゥ。飲みやすいぞォ。コレってなにィ?」

「杏酒だ」

「あんずしゅゥ? あんずって、くだもののォ?」

「ああ」

「ふーん、だから甘いのかァ」

やがて、ちゃぺが突然ころんと横たわり、くーくーと寝息を立て始めた。
さすがに力尽きてしまったようだ。

冬香の様子は、さほど変わらない。

「なあ、そっち行っていっかァ?」

「ああ」

どっこいせと立ち上がり、よろよろ歩いて、京介の隣に座った。
そして美顔を見上げる。

「……うーん。やっぱ、すんげえ美人だなァ。ハンパじゃねえぜェ。
おめえも自分のこと、キレェだって思うだろォ?」

「いや」

「えー? なんでェ?」

「嫌いな顔だ」

「じゃあ、どんなのが好みなわけェ?」

「これ以外なら、なんでもいい」

「ふーん、そっかァ」

冬香はソファーの背もたれに後頭部を乗せ、目を閉じて溜め息をついた。

「オレも自分のツラ、ヤダなァ……元々好きじゃなかったけど、
あの女に会って、嫌ェになっちまったァ……そっくりなんだもんよォ……」

「―――」

「髪の毛は、男のほうに似てんだってェ……こういう色で、クセッ毛なんだってェ……」

「………」

「でもさァ、昔、女みてえなツラだからヤダっつったら、母ちゃんは好きだって言ったんだよなァ」

―――だって、すっっっごく可愛いんだもの。大好きだわ。
   こんな女の子みたいな、ううん、女の子よりも可愛い顔、ほかには中々ないわよ?

―――母ちゃん、それ、めちゃくちゃキズつくんだってば……

―――いいじゃない、ホントのことなんだから。
   おまけに、息子なのに、娘を持ったみたいな気分にもなれて、お得なんだからね?

―――お得って、バーゲンじゃねえんだからさあ……

―――あんたの髪も好きよ? 綺麗な色だし、ふわふわしてて触り心地がいいんだもの。
   できれば、うーんと長く伸ばしてほしいんだけどね。

―――んなことしたら益々女みてえになっちまうじゃん。
   それに、母ちゃん、いじくりまわして遊ぶんじゃねえの?

―――当たり前じゃない。まとめたり結ったり縛ったりして遊びまくるわよ。
   そうそう、髪留めやリボンをつけるのもいいわねえ。

―――絶対ヤダッ。絶対伸ばさねえからなっ。

「だったら、親孝行の顔だ」

「え……?」

ぱちっと目を開けた冬香は、頭を起こし、京介の横顔を見た。

「親孝行……?」

「ああ。おまえのお母さんは娘を持ったような気分にもなれて、きっと楽しかっただろう。
それもひとつの孝行だと思うが」

「……そっかァ、親孝行かァ。そう考えりゃ、この顔で良かったかなァ。……うん、良かったなァ。
なんか、嬉しィ。すげえ嬉しいぞォ」

頬を緩ませ、酒をあおる。立て続けに3杯。
それでボトルは空になった。

「もうやめておけ。急にたくさん飲むのは危険だ」

「んー……? んー……」

大きな瞳が、美顔に据えられた。
じっと見つめる。見つめ続ける。不自然なほどに。

(……相当酔ってるか)

当然だろう。ほとんどひとりでボトル2本を平らげたのだから、平気でいられるわけがない。
潰れるか嘔吐してもおかしくないくらいだ。

「きょおすけェ」

「なんだ」

「おめえのクチビル、んまそうだなァ」

「なにを言ってる」

「だって、ホントんまそうなんだもんよォ。喰いてえくらいだぞォ?」

(やれやれ……)

「なあ、ちゅーしていっかァ?」