SEQUEL〈4〉




タバコを買った京介がマンションに戻ると、冬香はリビングのソファーにうつ伏せになって愛猫と遊んでいた。
しかし、心ここにあらずという感じで、おざなり気味に猫じゃらしを振っている。
そのため、ちゃぺは不満そうな様子だ。

「……ただいま」

「え?―――あ、あぁ、おかえり」

「どうした、ぼんやりして」

「あ? うん、まあ、ちょっと考え事」

冬香は起き上がり、今度は真面目に猫じゃらしを振った。
その斜め向かいに、京介が腰を下ろす。

「……あのさ、オレ、あしたの夜、ちょこっと行きてえとこあんだけど、
もしかしたら時間かかるかもしんねえんだ。だから、付き合ってくんなくていいよ。
行きも帰りもタクシー使うから、ひとりで大丈夫。心配いらねえからさ」

「遠いのか」

「あー、どうだろ? まだわかんねえ。
おっちゃんが、どっかのホテルの部屋とるって言ってくれたんだけど」

「ホテル?」

「えっと……」

コイツになら、別に話しても構わねえか……と思いつつ口を開く。

「さっき、おっちゃんから電話あったんだ。オレを産んだ女が見つかったって」

「―――」

京介はかすかに双眸を見張った。
どういうことだと問おうとしたが、冬香がまだ喋りそうなので、言葉の続きを待つことにする。

「ホントは自分で捜したかったんだけど、どうすりゃいいのかサッパリわかんなくてな。
かといって兄ちゃんたちに頼むのも、なんか気ィ引けて。変に誤解されたらヤダしさ。
だから、おっちゃんに頼んだわけ。大学に合格したときだ」

猫じゃらしを振り上げると、ちゃぺが大きくジャンプした。

「でも、ムリだと思ってた。おっちゃんがどんなにすげえチカラ持ってたって、
なんにも手掛かりがねえんじゃ捜せねえだろうなって。
ま、そんでも別に構わなかったんだけどさ。ただ、ちょっと会ってみてえってだけだから。
けど、ちゃんと見つけてくれたよ。時間が掛かって申し訳なかったって言ってた。謝ることなんかねえのに」

冬香はテーブルの上からボールを取り、床に放り投げた。
ちゃぺがそれを追い掛けて行く。

「つまりさ、早乙女んちの家族と血ィつながってねえんだよ、オレ。
生まれてすぐ捨てられたんだ、養護施設の前に」

その施設は、冬香の母・
香織(かおり)の故郷でもある。
彼女は幼い頃に両親と死別し、そこで育ったのだ。

早乙女
冬馬(とうま)と結婚したあとも、香織は菓子や玩具などを持って頻繁に施設を訪問した。
3人の息子を授かってからは、よく彼らを一緒に連れて行った。

やがて待望の、2度目の妊娠。
だが、産声を聞くことはできなかった。死産だった。

その日はクリスマス・イブで、
入院している香織の代わりに息子たちが施設にクリスマス・プレゼントを届けた。雪の降る夜だった。
しばらく子供たちと遊んで過ごし、帰るとき、施設の門の陰に置かれた赤ん坊を見つけたのは春弥だ。
衰弱が激しく、泣くこともできないような状態だった。
3人は急いで赤ん坊を病院へ運んだ。
もし春弥が発見しなかったら、小さな命は息絶えていただろう。まさに間一髪だった。

親を捜そうとは、家族の誰も言わなかった。
もし魔が差して捨てたのなら即座に名乗り出てくるはずだが、いつまで経っても音沙汰なし。
育てる気がないのか、育てることができないのか、どちらかだ。
そんな親を捜して赤ん坊を返しても、また捨ててしまうかもしれない。―――そう考えたのである。

結局、香織の強い要望で、赤ん坊は早乙女家が引き取ることになった。
家族は皆、大賛成だった。

「つうわけなんだ。
でも、じいちゃんも父ちゃんも母ちゃんも兄ちゃんたちも、これでもかってくらい愛してくれて、
ベッタベタに可愛がってくれて、オレにとっちゃホントの家族以上の家族なんだけどな」

ちゃぺがボールを転がしてきたので、それを冬香は再び放り投げた。

「たださ、ガキん頃から、なんでオレだけ似てねえんだろって思ってたんだ。
じいちゃんと父ちゃんは似てるし、兄ちゃんたちは父ちゃんと母ちゃんに部分的に似てんのに、
オレだけまるっきり違うんだもんよ」

確かに、と京介は思う。
冬香の実家で写真を見せられたときに感じた違和感の正体が、今わかった。

「だから、えっと、小学校6年のときだったかな? 母ちゃんに訊いたんだ。
そしたら、変に隠さねえで、ちゃんと教えてくれたよ。もしオレに訊かれたら、そうしよって決めてたんだって。
やっぱ、さすがにビックリしたけど、でも、だから似てねえのかって、妙に納得いったな」

―――じゃあオレ、父ちゃんと母ちゃんの子供じゃねえんだ……

―――馬鹿息子。ふざけたこと言うと殴るわよ?

―――……殴ってから言うなよぉ。痛ェなあ、もぉ。

―――あのね、冬香。あんたは冬馬さんとあたしの子なの。
   ハルやナツやアキと同じ、あたしがオッパイあげてオムツ換えて一生懸命育てた、大事な大事な息子なの。
   ただ、産んでないだけ。それだけの違いよ。どうでもいい違いだわ。

―――でも、じゃあ、なんでオレだけ名前フツーに呼ぶわけ? 兄ちゃんたちはハルとナツとアキなのに。

―――3人まとめて呼ぶことが多いから、短くしたほうが簡単で楽なのよ。普通になんて面倒臭くて呼べないわ。

―――……なんか、それ、ひどくねえ?

―――いいのいいの。でも、あんたはまとめて呼ぶ必要がないし、なにより、うんと特別な名前だから。
   だって、冬馬さんとあたしから1字ずつ取って名付けたんだもの。
   だから省略しないで、ちゃんと呼んでるわけ。わかった?

―――うん。……けどさ、えっと、シザン? だった子供の代わりとかじゃねえの、オレ?

―――また馬鹿なこと言って。殴るわよ?

―――……だから、殴ってから言うなってばぁ。今度はゲンコかよぉ。

―――冬香は冬香よ、あの子とは違うわ。
   それにね、あんたがいなかったら、あたしたちは悲しいままだった。
   あんたってば、まるで天使みたいに愛らしくて人懐こく笑うから、みんな夢中になったのよ?
   あんたが家族全員を幸せにしてくれたんだから、もう家宝だわね。

―――……じゃあ、オレ、ずっとここにいてもいいんだ?

―――当たり前でしょ。というか、いなきゃだめなの。たとえお婿に行くって言ったって絶対に許さないから。
   どうしても行くって言うなら、あたしもついてくわ。一生離さないわよ?

―――そりゃあ、ちょっと困るかも……

―――なんですってえ? 可愛くないわねえ。くすぐりの刑しちゃうぞお。

―――うわっ。やめろよ、ヤダッ。うひゃっ。や、やめろってばあっ。

―――こら、待ちなさい。逃がさないわよお。ほーら、捕まえた。

―――く、苦しい〜。ちったあ加減しろ〜。

―――……良かった……

―――え?

―――ほんと良かった……あんなに小さくて弱々しい子だったのに、こんなに丈夫に育ってくれて、ほんと嬉しい……

―――母ちゃん……

―――たくさん食べて、もっと元気になって、思いっきり楽しく生きるのよ、冬香……
   せっかく、せっかく生まれたんだもの……

―――うん……

「ったく、すんげえウソツキだよなあ。一生離さねえっつったくせに、
父ちゃんと一緒にさっさと逝っちまいやがってさあ。針千本モノだぜ、っとに……」

京介が腕を伸ばし、指先で冬香の目尻を拭った。

「あ、あぁ、ごめん。……ダメだなあオレ。母ちゃんのこと思い出すと、すぐこれだ」

いつの間にか流れていた涙を、冬香は両手の甲でごしごし拭いた。

「メチャクチャあったけえんだけど、その反面、凶暴っつうか、なんつうか、とにかく手が早くてさ。
何度ブン殴られたかわかりゃしねえ。兄ちゃんたちも相当やられたって話だよ。
おまけに、誰にでもポンポン言いてえこと言ってな。
……あー、そういや、父ちゃんと結婚するときも暴れたらしいや」

ふたりの結婚には、早乙女の親戚がこぞって大反対だった。
香織の披露を兼ねた一族の食事会で、
施設で育った娘を嫁として迎え入れるわけにはいかない、どこの馬の骨かわからない者など認めない、
と口々に言った。

それに対し、彼女は躊躇なく怒りを爆発させた。
まずテーブルを引っくり返して連中を黙らせ、次いで怒鳴りつけたのだ。
「揃いも揃ってふざけんじゃないわよ! 施設のなにがいけないの!?
あたしはあそこの人たちに愛情を込めて育ててもらったし、あの人たちに心から感謝してるし、
あそこが自分の故郷だって胸を張って言うわ! 
血筋なんてどうでもいい! あたしはあたし、それだけで充分だもの!
あんたたちに認めてもらわなくたって結構よ!」と。

唖然とする一同の中、冬馬は楽しそうに笑い、その父・鳳吉も微笑した。

そして非難が上がり始めると、鳳吉は待ち構えていたように一族全員に絶縁を言い渡した。
以前は大した付き合いもなかったのに、
鳳王グループの名が世間に浸透するに連れて親戚面をするようになった者ばかりなので、
すっかり嫌気がさし、いずれ縁を断ち切りたいと考えていた彼なのだ。
それに、天真爛漫で、物怖じせず、歯に衣を着せない香織のことを、鳳吉は大層気に入っていた。
ぜひ息子の嫁になってほしいと思っていたのである。

「ってなわけだ。
その一件で、父ちゃんは母ちゃんに惚れ直したって言ってたっけなあ。すんげえ嬉しそうな顔してさあ」

「そうか」

「……あ、悪ィ。なんか、余計なことまで話しちまったな」

「いや」

「ええと、だから、おっちゃんがオレ産んだ女を見つけてくれて、
オレのこと言ったら、すぐ会いてえっつう返事だったんだって。
場所は静かなとこがいいだろうからってんで、ホテル捜してくれてる。
そういうわけで、あしたの夜、ちょっくら出掛けてくるよ」

「わかった」

ちゃぺがボールにしがみつき、そのままコロコロと転がっていく。 
それを見て、冬香はプッと吹き出し、声を上げて笑った。

京介はタバコを咥え、火をつけた。
白煙を吐き出しながら、ちゃぺを拾った日のことを思い出す。

あのとき冬香は、すやすや眠る子猫に語り掛けていた。
いっぱい食べてちゃんと育て、大きくなれ、せっかく生まれたんだから、と。
あれは、彼自身が母親から言われた言葉だったのだ。

それに、確か同居を始めてすぐの頃。
オレンジ色の髪は遺伝なのかと尋ねたら、わからない、誰にも訊けない、という答えが返ってきた。
あれは、そういうことだったのだ。

驚いた。まさか、そんな事情があるとは思いもしなかった。

しかし、ひとつ疑問が残る。
早乙女家の人たちを愛し、愛され、本当の家族以上だと言い切るくらいなのに、
なぜ冬香は今更、自分を産んだ女に会いたいのか? 会って一体どうしたいのか?
今の話を聞いた限りでは、その女に対して恨みや辛みもなければ興味も関心もなく、
彼にとってどうでもいい存在のように感じたのだが。
あそこまで話してくれたのに、それだけ言わないということは、きっと言いたくないのだろう。
だから訊かないことにする。でも、正直、気になる。




再び海神から連絡があったのは、約30分後のことだった。

『あしたの夜7時に、池部黒のハイアッツというホテルへ行きなさい。
フロントできみの名前を言えば案内してくれるように頼んでおいたから』

「7時に池部黒のハイアッツ、だな。わかった」

『それと、もし先方の女性からきみの家のことを訊かれたら、ごく普通のサラリーマンの家庭だと答えなさいね』

「え、なんで?」

『念のためだよ。そのほうがいいと思う』

海神がそう言うのだから、間違いないだろう。

「うん、わかった。じゃあ、そうする」

『京介くんに付き合ってもらうのかい?』

「ううん。どんくらい時間かかるかわかんねえし、長くなって待たせたら悪ィじゃん。
オレひとりでタクシー乗ってく」

『では、気をつけて行っておいで』

「おう。帰ったら、おっちゃんに報告の電話すっからさ」

『ああ、待っているよ』