ENCOUNTER〈4〉




もらった地図の通りに歩いて行くと、レジデンス・コウという名を冠した5階建てのマンションに着いた。
オーソドックスなデザインだが、えんじ色の外壁と大きな窓が特徴的な建物だ。
1階にはコンビニエンス・ストアとクリーニング・ショップが並んでいる。

ひとつめの自動ドアからエントランスに入り、
インターフォンが設置されたパネルの受光部にキーヘッドを近付けると、
ふたつめの自動ドアが静かに開いた。その向こうにエレベーターが見える。

迷うことなくエレベーターに乗り込み、京介は最上階を目指した。
地図の端に「501号室」と明記してあったからだ。
つまり、海神が用意してくれた住居は5階の一室ということである。

最上階の南側の端に、501号室があった。

重厚な造りのドアを開けて中に入ると、広い玄関から廊下がまっすぐ伸び、
廊下の左手の壁一面が扉付きの収納棚になっていて、右手には洗面所とトイレが並ぶ。
そして洗面所の奥が脱衣所および浴室だ。

廊下の突き当たりに、キッチンを備えたリビング・ルームが広がっていた。面積はおよそ20畳。
入ってすぐ左側が台所で、食卓兼用のカウンターに椅子がふたつ置いてある。
少し奥が居間のスペースで、正面と左側に大きな窓があり、
中央には木製の長いテーブルとL字型のソファーが設置されている。

居間の右側に、ファクシミリ付きの電話が乗ったラックを挟んでドアがふたつ。
その手前のほうを開けると、10畳ほどの個室だった。
オーダーメイドに違いない長大なベッドと、パソコン一式が置かれたライティング・デスク、大きな椅子、
そして空の本棚がある。左側の壁を占める扉はクローゼットだ。
隣は恐らく客室だろうと思い、開けなかった。
客など来るわけがなくて使うことは絶対ないから、どんな部屋なのか見る必要もないのである。

まさに至れり尽くせりだ。廊下の収納棚には掃除機、脱衣所には洗濯乾燥機、
キッチンには大型冷蔵庫と電子レンジ、湯沸しポット、炊飯器があり、
居間と個室にはエアコンが取り付けられていて、きょうからなに不自由なく暮らせる。
あとは着替えさえあればいい。
ひとりで住むには広すぎる気がするけれど、遠慮なく使わせてもらうとしよう。

京介はコートを脱いでソファーに座り、コートのポケットからタバコと携帯用の灰皿を取り出した。
慣れた手つきで咥え、火をつける。吸う仕草もサマになっている。
まだ喫煙が許される年令には達していないが、1日に5箱ほど消費するヘビースモーカーだ。

タバコを吸い終わって消したあと、窓に近付き、カーテンを開けてベランダに出た。
眼下に住宅地が広がっている。どの家にも庭があるので、狭苦しい感じはしない。おまけに静かだ。
マンションの正面はやや広い車道に接しているが、あまり騒音が聞こえてこないということは、
交通量が少ないのだろう。

京介は空を仰ぎ、瞼を閉じた。

(―――海神さんには、どんなに感謝しても足りない……)

正直、断わられるだろうと思っていた。
そんな得体の知れない人間を預かることはできない―――そう言われるだろう、と。
しかし、断わるどころか、これほど
調(ととの)った住居を用意してくれた。
しかも、大学生という身分まで与え、普通の生活をさせようとしてくれている。

家を出られるだけで充分だった。学校へ行くなんて考えもしなかった。
けれど、それも悪くないと今は思う。とにかく、海神の指示に従うだけだ。

そして目を開け、室内に戻ろうとしたとき、

「きょおすけ―――――――――――――――――――――――――─――――――――――――――っ!!」

と凄まじい絶叫が響き渡った。

「どこだ――――――――――――――――っ!? この近くなんだろ――――――――――――――――っ!? 
返事しろよ――――――――――――――――っ!! 聞こえねえのか――――――――――――――――っ!?」

その叫び声は地上から響いてくる。

京介はベランダの柵越しに下を見た。
小柄な人物が路上でうろうろしている。

(あれは、海神さんのところで会った―――)

指定された時間の少し前に理事長室へ行ったら、
「実は、もうひとり来ることになっていてね。すまないが待っていてくれないか」と海神に言われ、
その後けたたましく現われた少女だ。名前は、確か、早乙女 冬香。
小さいくせに、なんて大きな声を出すのか。

できれば返事などしたくないが、放っておいたら再び大声を上げそうだ。さすがに近所迷惑だろう。
このマンションの所有者である海神に、近隣の住民から苦情が行ってしまうかもしれない。それは避けたい。

「ここだ」

仕方なく京介が声をかけると、冬香は顔を上げ、ほっとした表情を見せた。

「あー、いたいた。そこかあ。どっから入りゃいいんだ?」

「こっちは裏側になる。半周して表に回ればいい」

「そっか、わかった。あんがと」

冬香は走り出し、京介は室内に戻って窓を閉めた。

これで用は済んだはず。あの少女はこのまま、自分に与えられた部屋へ直行するだろう。もう関わる必要はない。

またソファーに座ってタバコを吸い、これからどうしようか考えた。
まずは、この近所を歩き回って、どこになにがあるのか把握しておいたほうがいい。
ついでに買い物だ。普通の灰皿と、本と、それから―――

思考は中断させられた。
リビングの出入り口付近の壁に設置されたインターフォンが鳴り、客の来訪を知らせたからである。

居留守を使おうかとも思った京介だが、念のため、応対することにした。
小さなモニターに映し出されたのは、困った表情の冬香だった。

『なあ、おい、聞こえっか?』

「ああ」

『あのさ、ふたつめの自動ドアが開かねえんだよ。どうすりゃいいわけ?』

エントランス・キーの使い方がわからないらしい。
その方法を教えてやって、インターフォンを切った。

そしてソファーに戻り、吸い掛けのタバコを吸い、それを消していたとき、
いきなり玄関の扉の開く音が聞こえ、ぱたぱたと誰かが入って来た。
とっさに京介は立ち上がった。

「おう、さっきは助かったぜ。あんがとなホント」

冬香だった。京介の前にやって来て、まっすぐ美顔を見上げる。
ふたりが並ぶと、すごい身長差だ。冬香の頭は京介の胸元にも届かない。

「……ちぇっ。じいちゃんもおっちゃんも年の割りにゃあ背ェ高ェし、
ハルちゃんたちは揃ってノッポだし、なんでデケェのばっか集まるんだか……」

少々ムッとしながらブツブツ言った冬香だったが、すぐ気を取り直し、
両手に重そうに提げていたコンビニの袋をテーブルの上にどさりと置く。

「おめえの好み知らねえから、テキトーに買ってきた。
コーヒー、紅茶、オレンジジュース、日本茶、ウーロン茶、ミネラル、炭酸、アクエにポカリ。
好きなの飲めよ。さっきの礼だ」

そして冬香は、室内の物色を開始した。リビングから始まり、ふたつの個室、キッチン・カウンターの中、
廊下の収納棚、トイレ、洗面所、浴室、玄関のシューズ・ラックと、隅々まで見て回る。

その間、京介はソファーに腰を据えていた。飲み物には手をつけなかった。

「―――あれ? 飲んでねえじゃん。いらねえの?」

物色を終えた冬香が戻って来て、京介の隣にちょこんと座る。

「あ、ノド渇いてねえのか。おっちゃんとこでコーヒー飲んだから」

京介はなにも言わない。隣に目を向けることもない。

途端にムカッとしたけれど、なんとか堪えた冬香だった。

「あー、えっと、中々の部屋だよな、ここ。おっちゃん、さすがにセンスがいいっつうか。
なあ? おめえもそう思わねえ?」

それでも京介は無反応。

カチンと来たが、また冬香はどうにか耐えた。

「えーっと、洗面所にゃタオルがいっぱい積んであったし、台所にゃ食器とか揃ってるし、おっちゃんって気ィ利くよな。
たださ、テレビとかDVDプレイヤーとかコンポがねえんだ。ちょっと困るぜ。
おめえは? テレビ観たり音楽聴いたりしねえの?」

それでも京介は答えない。微動だにしない。

「っ……!!」

ぶちっと来た。今度こそ切れた。もう我慢できない。限界だ

眉を吊り上げ、勢い良く立ち上がった冬香は、テーブルの上の缶ジュースを1本つかみ、思い切り京介に投げつけた。
しかし、それは、彼の大きな手に受け止められてしまう。

「……どういうつもりだ」

ようやく京介が口を開いた。表情のない顔を冬香に向けて。

「こっちのセリフだよ、そりゃ!! てめえこそ一体どういうつもりだっ!? 
初対面で失礼なこと言っちまったから悪ィと思って友好的に喋ってんのに、
シカトはねえだろうがシカトはっ!! てめえも少しくらい気ィ遣えよっ!!」

「……必要ない」

「バカか、てめえっ!? お互いまるっきり気ィ遣わなかったら同居なんてできるわけねえだろうがっ!! 
んなこともわかんねえのかっ!?」

そして冬香はくるっと背を向け、

「もういいっ!! ったく、冗談じゃねえぞっ!!
てめえみてえなヤローと一緒に暮らすなんて真っ平ごめんだ、この大バカヤロウッ!!」

と捨て台詞を残し、出て行ってしまった。

玄関の扉の閉まる音が聞こえてくる。

京介は薄く吐息した。

(同居人とか、一緒に暮らすとか、なにを言ってるんだ……)

勘違いも甚だしい。赤の他人の男女をひとつの部屋で暮らさせるなんて、そんな非常識な真似を海神がするはずないのに。
そもそも、あの少女は一体なにをしにここへ来たのだろう?―――いや、どうでもいいことだ。

それより、玄関の鍵を掛けたつもりだったのに、どうやら忘れてしまったらしい。
迂闊だった。今後、気をつけるとしよう。