ENCOUNTER〈3〉




「なあ、おっちゃん」

冬香が不満たっぷりの
表情(かお)で問う。

「なんで教えてくんなかったわけ? 仲間がいるって前もってさ」

「いっさいの先入観を与えたくなかったからだ。なんの情報も持たない状態で京介くんに会い、彼を見てほしくてね」

「ふうん。第一印象、最悪に近いぞ? 挨拶らしきもんはあったけど、なに言っても黙ってるし、
こっちにゃチラッとも目ェ向けねえし、ほとんどシカトだったじゃねえか」

海神は苦笑した。

「お互いさまではないかな? きみも京介くんにずいぶん失礼な発言をしていたよ?」

「あー……そういや、そうかも」

ちょっと反省。

「あれが彼の本性ではない、とだけ言っておこう」

「んじゃ、どんなヤツなわけ?」

「それは今後、きみ自身が接して、自分の目で見て、徐々に知っていきなさい」

「いいじゃねえか、ちょこっとくらい教えてくれたって」

「だめだよ」

「ちぇっ、ケチ」

冬香はプーと頬を膨らませ、海神を軽く睨んだが、
彼は穏やかに微笑しているだけだ。口を割るつもりは毛頭ないらしい。
諦めざるを得ない冬香だった。

「んで、じいちゃんは? アイツのこと知ってんの?」

「いいや。きみから話すといい」

「悪口しか出てこねえぞ?」

「構わないよ。きみが見た通り、感じた通りに報告しなさい」

「知ったら反対すんじゃねえ?」

「それはないね。すべて任せると、わたしにおっしゃったのだから」

「ふうん」

冬香はズズッとコーヒーを啜り、海神もカップに口をつけた。

「ところで、先ほど
春弥(はるや)くんがと言っていたが、日本にいるのかい?」

「うん、きのう帰って来た。
ここ来るとき門のとこまで送ってくれて、理事長室まで一緒に行くっつってくれたんだけど、悪ィから断わったよ。
んで、仕事に戻ってった。おっちゃんにヨロシクって。時間あるとき、ゆっくり顔出すってさ。
あしたの朝ロンドンに
()つみてえ」

「そうか。
夏輝(なつき)くんと秋斗(あきと)くんは?」

「おとといの夜に帰って来て、今朝まで家にいたよ。
ナッちゃんはロス、アキちゃんはリオに行くっつって出掛けてった」

「おや、珍しいね、3人揃って帰国していたとは」

不意に冬香が俯き、小さく笑う。

「ゆうべ、合格祝いしてくれたんだ。ホントは合格発表のすぐあとにやりたかったけど、
3人のスケジュールが中々合わなくて遅くなった、ごめん、とか言ってさ。
いっつも仕事が忙しくて、めちゃくちゃ大変なんだから、無理やり都合つけて帰って来てくんなくていいのに……」

小さく吐息して、話を続ける。

「受験勉強のときも、じいちゃんは家庭教師を探すっつったんだけど、
他人(ひと)に任せらんねえって3人とも大反対でさ。
ひとりが必ず家にいるようにスケジュール合わせて、ずっと交替で勉強みてくれたんだ」

「ほう、それは知らなかったな」

「うん、誰かに言ったの初めて。
そのあと、無理にスケジュール調整したツケが回ってきて、まともに睡眠時間とれねえ日がしばらく続いたらしいや。
じいちゃんが呆れた顔で教えてくれたよ。
そこまでして勉強みてくんなくても良かったのに……」

「それはできない相談というものだよ、おチビさん。3人とも、きみのことが可愛くて仕方ないのだからね。
どんな無理や無茶もするに決まっている」

「あは……」

冬香は泣き笑いのような表情を見せた。

更に海神が告げる。

「きみがすべきなのは、ごく普通の生活を送ること。それだけで充分だ。
そうすれば彼等は喜ぶ。もちろん、おじいさまもね」

「……うん」

「あと、大学生になる以上、勉強も相応にやらなければいけないな。
優秀な成績を収めなくても構わないが、せめて留年などという事態は避けないとね」

「……うん。―――うん、そうだよな」

ひとりごちて何度か頷いた冬香は、次いで残りのコーヒーを一気に飲み干し、

「ごっそさん。んじゃ帰るよ」

と立ち上がった。

「迎えが来るのかい?」

「うん、じいちゃんに電話しろって言われた。
でも、どうせヒマだから、おっちゃんが用意してくれた部屋に行ってみる。
どんなとこなのか見てえしさ」

「できれば案内したいが、わたしはこれから人と会う約束があって留守にできないし、

槇村
(まきむら)
は今ちょうど外出中だ」

「あ、マキちゃん、いねえの? 残念。会いたかったなあ。んじゃヨロシク言っといて。
案内はいいよ。ひとりで歩かなきゃ道、覚えらんねえもん。
入学したら通うことになんだから、その前に何度も歩いてバッチリ覚えなきゃ。
迷って授業に遅れた、なんてシャレになんねえだろ?」

「確かに」

海神は引き出しの中から赤い封筒を取り出した。

「きみの分の地図と鍵だ。地図は極力わかりやすく描いたから無事に辿り着けると思うが、
もし迷子になったら連絡しなさい」

「うん、あんがと」

冬香は机の前に行って封筒を受け取った。

「いつ引っ越すつもりだい?」

「んっと、入学式の2,3日前かな。いいだろ?」

「もちろん。では、おじいさまと春弥くんによろしくね」

「うん。んじゃ、またな」

「気をつけて」

「おう」

軽く手を振り、冬香は出て行った。

室内に静寂が戻る。

ひとり残った海神は、立ち上がって窓を開けると、懐からタバコを取り出し、1本咥えて火をつけた。
深く吸い込み、また深々と吐き出す。

(―――あれから1年余り、か……)

先に依頼してきたのは、京介のほうだった。彼の父親から連絡があったのだ。
そして、とんでもない話を聞かされ、驚愕した。とても信じられなかった。

とにかく本人に会ってみようと思い、後日、18年振りの再会を果たした。
初対面のときに無邪気な
表情(かお)で眠っていた赤ん坊は、まるで氷のような青年に成長していた。
事情を考えれば無理もない。むしろ当然といえるだろう。
だが、話をしているうちに、中身まで氷になっているわけではないと感じ、彼に好感を持った。
だから、正直に白状した。
「きみのお父上が嘘を言ったとは思わないけれど、あまりにも突飛すぎて、信じられずにいるのもまた本心だ」と。
すると彼は、意外な行動に出た。
さすがに驚き、一体なにを? と思ったが、その衝撃的な現象を目の当たりにして、信じざるを得なくなった。

「返事は少し待ってほしい」と彼に伝え、そして考えた。何日も頭を悩ませた。
しかし、どうすればいいのか全然わからなかった。
彼を預かるのは至って簡単だが、それでは解決しないのだ。そんな単純な問題ではない。

そこに来たのが、冬香のほうの依頼だ。
まず冬香の祖父から電話で事情を聞かされ、その日のうちに本人に会った。数年振りの再会だった。
そして告げられたのは、またしても摩訶不思議な話である。
やはり信じられなかったが、その証拠になることを次々と言われたため、信じるしかなかった。

同じような過去を持ち、同じような現況にあり、生まれながらに背負わされてしまったものまで類似する若者ふたりが、
ほぼ同時期に自分のところへやって来た。これは単なる偶然ではない、必然だ、と直感した。
また、同時に感じたのだ。ひとりではどうすることもできないけれど、ふたりならばなんとかなるかもしれない、と。
それは、なんの根拠もない、単なる勘に過ぎなかったけれど、試す価値は充分あると判断した。

ふたりに年相応の普通の生活をさせたいと思った。
通常なら決してあり得ない、奇異なものを背負っているからこそ、尚更。
18才といえば進学か就職かの岐路に立つのが一般的だが、
長いあいだ世間から離れていた彼等がすぐ社会に出るのは難しいだろうから、進学のほうが無難だと考えた。
しかし、ふたりとも高校へ行っていなかったので、
「まず高卒認定試験を受け、その後うちの大学の入試に臨み、合格したら依頼を引き受けよう」と提案した。
双方の保護者も当人たちも、それを受け入れてくれた。
もちろん入試に関して優遇することは一切なく、ほかの受験生と同等に扱った。

気掛かりだったのは、ふたり揃って合格できるかどうかだ。ひとりだけでは、なんの意味もないのだから。
もし彼等のうちのどちらかが不合格だったら翌年また受験してもらい、
もうひとりには適当な理由を告げて1年間待ってもらうつもりでいた。
しかし、無用の心配だった。揃って合格してくれた。
冬香は平均点だが、京介のほうはトップだ。しかも、大学史上最高点となる成績だった。

(これで、ようやく準備が整ったな……)

スタートは目前だ。来月、幕が切って落とされる。
だが、すぐに結果は出ないだろう。長い時間を要するに違いない。
だから、今は、祈るとしよう。
彼等が平穏無事に日々を過ごし、少しでも大学生活を楽しめるように、と―――