EARLY DAYS〈2〉




「さーて、まずはコーヒー飲みてえな。おめえも飲むだろ?」

「ああ」

「んじゃ、じゃんけん。負けたほうが淹れんだぞ。じゃーんけーん、ポン!」

張り切った冬香だったが、また敗北してしまった。1回目で、あっさりと。
途端にバツが悪そうな表情になり、上目遣いで京介を見る。

「えっと、あのさ、コーヒーメーカーって、どうやって使うわけ?」

「……知らないくせに、よく勝負を持ち掛けたな」

「負けるつもりなかったもんよ。もう3度目だから勝つだろうなあって」

やれやれ……と思いつつ、京介はキッチン・カウンターで実践して見せた。

「これで終わりだ。あとは落ちるのを待てばいい」

「そんだけ? ふうん、すげえ簡単なんだな。うん、わかった。次はオレがやっから。
―――あ、おめえ、ミルク入れる? 砂糖は?」

「どっちもいらない」

「オレ、ミルクだけほしいや。つっても、ねえよな、ここにゃ。買ってくる」

ぱたぱたと冬香は出て行き、間もなくビンを片手に戻って来た。

「液体のほうが良かったけど、品切れだってさ。粉のヤツしかなかったよ。
まあ、ねえよりゃマシだな、これでも―――っと」

ちょうど固定電話が鳴り出したので、近くにいた彼が受話器を取った。

「おう。誰だあ?……え、え? ハルちゃん?」

その瞬間、表情がやわらかくほころび、更に幼い顔つきになる。

「今どこ?……そっか、そうだよな。でも、なんでオレがここにいるって知って―――ああ、タカじいに聞いたのか。
……うん、ケンカしたあと、おとなしく出て来た。じいちゃんの言うこと聞くのも孝行かなと思ってさ。
……え、ケータイ? あ、ごめん。今、持ってねえや。部屋に置きっ放しだ。……うん。……うん。
……大丈夫だよ、心配すんなって。精一杯がんばるからさ。そのために、おっちゃんとこに行くって決めたんだし。
……うん。……あ、ホント? じゃあ、待ってる。……うん、わかった。伝えとくよ。
……おう、ハルちゃんも元気でな。あんまムリすんなよ?……うん。……うん、じゃあな」

電話を切ると、またすぐに鳴り出し、即座に冬香が取った。

「もしもし?……あは、やっぱナッちゃんだあ。……うん。今、ハルちゃんに聞いたから。
……そうそう。だからオレ、もうこっちに住んでっからさ」

その表情は依然ほころんでいる。口調も少しばかり甘い。

そして先程と同じようなことを話し、受話器を置いた途端、また鳴った。

「もしもーし。……あはは、残念。アキちゃんが最後だよ。
……うん、先にハルちゃんとナッちゃんから掛かってきたんだ。……そう、そういうわけ」

冬香が立て続けに3人と会話しているあいだ、
京介はコーヒーをカップふたつに注ぎ入れ、それを持ってソファーへ移動した。
ゆったり座って脚を組み、ゆっくりコーヒーを啜る。綺麗なラインの喉仏が上下に揺れる。

「悪ィ悪ィ。おめえに全部やらせちまったな。ホントごめん」

電話を終えた冬香が来て、京介の斜め向かいに腰掛けた。

「あのさ、うちの兄ちゃんたちから伝言があんだ、おめえに」

そう言いながら、持っていたビンを開けようとするが、開かない。まるで蓋が動かない。
どんなにチカラを込めても、何度やっても、全然だめだ。

「あっれえ? っかしいなあ。不良品か、これ?」

「……回す方向が逆だ」

「え、ホント?」

試しに反対のほうに回してみると、あっけなく開いた。

「あ、ホントだ。なーんだ、そういうことかよ」

そしてビンを揺すり、中のミルクをカップに入れようとしたら、一気に大量の粉末が落ち、
コーヒーの表面にこんもりと山ができてしまった。

「ぅわっちゃ〜、やっちまったぜェ」

「……なぜ蓋かスプーンを使わない」

「あー、そっか。蓋を使うって手もあったな。
スプーン取りに行くの、めんどくさくてさ、このまんま入れちまえって思ったんだけど。
ま、いいや。飲めねえこたあねえだろ。んじゃ、いただきま」

冬香はカップを持ち上げ、ふーっと思い切り息を吹き掛けた。
その瞬間、まだ溶けていなかった粉が飛び散り、顔にまで付着してしまった。

「うげっ」

「なにをやってる」

「だって、猫舌なんだもんよオレ。だから冷まそうと思ってさ」

「ミルクが沈みきるまで待てばいいだろう」

「や、もう大丈夫かなあと思って―――あ、あんがと」

京介に差し出されたティッシュの箱を受け取り、冬香は顔を拭いた。

次いで、改めてコーヒーに息を吹き掛けて冷まし、こくりと飲む。

「……うわー、ミルクの味しかしねえや」

当たり前だろうと思いながら、京介はカップに口をつけた。

「それで、伝言というのはなんだ」

「え―――ああ、そうそう。兄ちゃんたちが、おめえにヨロシクって。今度、一緒にメシでも喰おうってさ。
みんな揃って同じこと言ってたよ」

「3人いるのか」

「うん、3つ子。一卵性じゃねえから、あんま似てねえけど。
そういや、3人とも海神大のOBなんだよ。第一期生だって。
だからオレと18違うし、今は仕事で
海外(そと)飛び回ってて、すげえ忙しくてな。
なあ、おめえは? 兄弟いる?」

「いや」

「じゃ、ひとりっ子か。
―――あのさ、おめえってさ、もしかして外国の血が混じったりしてねえ?
親戚に外国人とかいるんじゃねえの? 違う?」

京介はコーヒーをひとくち飲んでから答えた。

「母親がドイツ人だ」

「あーあーあー」

目と口を大きく開け、こくこくと冬香が何度も頷く。

「そっかそっか。なるほど。そういうわけだ。道理でなあ。なんかスッキリしたぜ。
ところでさ、おめえの父ちゃんって、おっちゃんの友達なのか?」

「留学先で知り合ったと聞いてる」

「留学? どこ?」

「ドイツだ」

「へえ。そういや若ェ頃、いろんな国に行ってたんだっけな、おっちゃん。
んじゃ、おめえの父ちゃんは、そこで母ちゃんとも知り合ったわけか。
―――あ、だったら、おめえ、おっちゃんのこと昔から知ってんの?」

「俺が生まれたときに病院まで見舞いに来てくれたらしいが、もちろん俺は憶えてない。
去年初めて会ったようなものだ」

冬香は少々驚き、瞬きした。

「去年って、後見人の件でか? なんで? おめえの父ちゃんと友達なんだろ?
それまで、おっちゃん、おめえんちに遊びに行ったりしなかったわけ?」

「海神さんも俺の父親も仕事が忙しくて、
この十数年のあいだは時々連絡を入れ合って近況報告をするくらいのことしかできなかったらしい」

「父ちゃんの仕事って? なにやってんの?」

「医者だ」

「ふうん。……あ、ごめん。おめえのばっか訊いちゃ不公平だよな。
えっと、うちの場合は、おっちゃんが若ェ頃じいちゃんの世話になったらしくてさ。
昔からよく家に来てたんで、オレ、おっちゃんのことはガキんときから知ってんだよ。
ま、ここ何年かはグレてて、まともに顔も合わせてなかったけど」

ずずっとコーヒーを啜り、冬香は話を変えた。

「ところでさ、おめえ、きょうはどっか出掛ける?」

「いや」

「そっか。オレはちょっと出て来るよ。大学までの道、覚えなきゃなんねえから。
それに、どこになにがあんのか知っとかねえと、これから不便だしな」

「もし迷ったら、ここに電話しろ」

「え……や、いいよ、そんな。おっちゃんに連絡して訊くから。
おめえだって来たばっかで、ここらへんのことなんかサッパリわかんねえだろうが」

「きのう歩いて大体は把握した。だから海神さんに面倒をかける必要はない。
ここに電話しろ。ただし、迷ったらすぐにだ。適当に歩き回るな」

「あー……うん。んじゃ、そんときゃ頼む」

突然、冬香の腹部から大きな音が上がった。

「っと。そういやハラ減ったな。なあ、そろそろメシにしねえ?」

「俺はいらない」

「あれ、朝は喰わねえの? いつも?」

「ああ」

「んじゃ、オレぁコンビニでなんか買って、それ喰いながら歩き回るかな」

残りのコーヒーを飲み干して立ち上がった冬香は、
空になったカップをキッチンに持って行ってから自室へ入り、白いブルゾンを羽織りながら出て来た。

「んじゃ、ちょっくら行って来るわ」

「ここの電話番号は知ってるか」

「あ、そういや知らねえ。何番?」

「電話機の横のメモにかいてある」

その番号を携帯電話に登録し、冬香は玄関へ向かった。

ちなみに、その登録作業を行なったのは京介である。
自身の電話だというのに、冬香は通話以外の機能をまったく使えないのだ。機械オンチゆえ致し方ない。

外に出た冬香の足取りは軽い。気持ちも同様。

(うん、中々いいカンジじゃん。一時はどうなることかと思ったけど)

意外なくらい京介は普通に喋っている。質問にも普通に答えてくれた。
できることなら、きちんと目を合わせて話してほしいものだが、まあいい。
初めて会ったときのことを考えれば、上出来といえる。
あの調子なら、無駄に苛立つことも腹を立てることもなく日々を過ごせるだろう。良かった。

ただ、ひとつだけ心配なのは、己れの不器用さだ。
今に始まったことではないけれど、我ながら呆れてしまう。本当にひどい。
おかげで、きのうから京介に迷惑をかけまくっている。
彼は気にしていないような様子で、いろいろと助けてくれるが、こちらとしては申し訳なくてたまらない。頭が下がる。

(でも、こればっかりは、オレにゃどうしようもねえもんなあ……)

どうにかできるものなら、とっくにそうしている。

京介には、運が悪かったと思って諦め、慣れてもらおう。それしかない。