DISTRESS〈6〉




その晩、辰巳が引っ越し蕎麦を持ってやって来たので、京介が応対した。
冬香はリビングにいて顔を見せず、律儀な奴だなあと思った。

「あのヤロー、なんて?」

京介が居間に戻って来るのを待って、訊いてみる。

「挨拶だけだ。今後ともよろしく、と」

「ふうん」

昼間、辰巳に会ったことを、冬香は京介に話していない。
わざわざ報告する必要もないだろうと判断したからである。

夕刻から振り出した雨が、一段と激しくなっていた。時々雷鳴が轟き、閃光まで放っている。
予報によれば、明け方まで豪雨が続くらしい。

そんな荒れた天気以外は、いつもと変わらない夜だった。
京介はソファーに寝そべって本を読み、
冬香は愛猫と遊んだりゲームをしたりテレビやDVDを観たりして過ごした。
夕食はコンビニに電話をかけ、弁当や惣菜などを適当に頼んで、泉水に配達してもらった。

そろそろ風呂に入ろうという話になったのは、12時を少し過ぎた頃。
普段通り、じゃんけんで順番を決め、先に京介が入浴した。

そのあと冬香が浴室へ行き、脱衣所で服を脱いでいるとき、また雷が鳴った。

(うっわ〜、びっくりしたぁ〜……)

このマンションは、それなりに防音設備がしっかりしている。
なのに、これほど鮮明に聞こえてくるということは、相当大きいということだ。
別に雷が苦手なわけではない。
ただ、いきなり鳴ると驚いてしまうから、それがいやなのだ。心臓に悪いと思う。

まず軽くシャワーを浴び、髪と身体を洗って、浴槽に入った。
手足を思い切り伸ばし、バスタブのふちに後頭部を乗せ、そっと目を閉じる。
深い溜め息が出た。

(もう夏休みも終わりかあ……)

いよいよ来週から大学が始まる。
今までは眠くなったら寝て目覚めたら起きるという自由気ままな生活だったが、いいかげん改めなければならない。
今夜から早めに寝て、早めの起床を心掛けるようにしよう。

振り返ると、様々なことがあった夏休みだった。
しばらくのあいだ海神の別荘で過ごし、実家に帰ったら熱を出して寝込んでしまい、
次は京介を実家へ連れて行って兄たちと食事して、それから自分を産んだ女に会い、
生まれて初めて大量の酒を飲んで二日酔いを経験、曲の盗作騒動が起こり、昔のことを京介に話して、
彼に子供が? という一件があり、彼の過去を少しだけ知った。

だが、一番大きいのは、なんといっても気持ちを自覚したことだ。
まさか自分が恋なんてものをするとは、しかも同性を好きになるとは、これっぽっちも思っていなかった。
今更ながら、我ながら、びっくりしてしまう。

(まあ、きょおすけがオレにとって、そんだけ魅力的ってことだよな……)

そう。つまり、そういうことなのだろう。

罪悪感は今もある。一臣に対して申し訳ないという思いが。
でも、それと同じくらい、京介のことが好きという気持ちも強い。

(ごめんな、カズミ……ホントごめん……)

謝るしかない。ひたすら謝罪するしか―――

いきなり冬香は、ぶるっと身体を震わせた。

(え?……なに?)

なんだろう? なにか奇妙なものを感じる。
しかも強烈だ。固く閉じたシャッターを抉じ開けようとしてくる。

(……あれ? そういや、前にも同じことがあったよな? いつだっけ? どこで?)

しばし考え、思い出す。このマンションに引っ越してきた日の夜だ。
自室で眠っていたら、隣から―――京介の個室から、
それ(・・)を感じたのだ。
様子を見に行くと、室内で炎が燃え盛っていた。熱くはないが、凄まじいくらいの圧迫感があった。
その中で、汗の浮かんだ大きな背中を丸め、呻き声を咬み殺しながら、京介が苦しんでいた。
確か、必死の思いで
それ(・・)を消し去ったのだが、そのあとのことは記憶にない。
気付いたら朝になっていて、彼に大丈夫かと訪ねたら、なんのことだと問い返された。夢でも見たのか、と。

あの夜と同じだ。同じものを感じる。

(じゃあ、あれ、夢じゃなかったのか? 
現実(ホント)のこと?―――あっ?)

消えた。突然フッと。

(な、なんで?)

念のため、ほんの少しだけシャッターを開け、意識を集中して捜してみたが、見つからない。
どこにも、なにもない。

(……おかしいな。気のせいだったのかな)

だとしたら、助かる。正体不明のものにわずらわされるのは勘弁だ。

“フウカ!”

「えっ?」

ぎょっとして、冬香は目を見開いた。

(な、なんだ? 今の……)

一臣の声が聞こえたような気がした。
いや。正確には、聞こえたのではなく、彼の声が頭の中に響いたような。

(……今のも、気のせいだったかな?)

“フウカッ!”

「っ!!」

違う。気のせいなどではない。確かに頭の中に響いた。はっきり感じた。

「カズミッ!? いんのかっ!?」

冬香は慌てて立ち上がり、周囲を見回した。

「どこだよっ!? どこにいんだよっ!? カズミッ!! カズミッ!!」

“逃げろっ!”

「えっ?」

“逃げるんだフウカッ!! 早くっ!!”

「な、なに? なに言って―――」

“冬香っ!! 急いで逃げなさいっ!!”

今度は父・冬馬の声が響いた。

“逃げるのよ冬香っ!! そこにいちゃだめっ!!”

続けて母・香織の声も。

「父ちゃんっ……! 母ちゃんっ……!」

とても懐かしくて、ものすごく嬉しくて、つい泣きそうになる。実際、じわりと涙が浮かんできた。
だが、そんな感慨に浸っている場合ではなさそうだ。
3人とも非常に緊迫した様子で、早く逃げろと今も繰り返し告げている。
わけがわからないけれど、そうしたほうがいいだろう。

冬香は急いでバスタブから出て、浴室の扉に手を伸ばした。
だが、開ける直前、ドアが勝手に開いた。

そこに京介が立っている。彼が開扉したらしい。

「あ、あのさ、今カズミと父ちゃんと母ちゃんが―――」

思わず口を噤んでしまった。京介に違和感を覚えたからだ。
いつもの無表情ではない。
かすかだが、口元に笑みを浮かべている。温柔なものではなく、背筋が寒くなってしまうような冷たい種類のものだ。
その上、双眸にも冷ややかな光が揺れている。いや、残忍というべきか。

京介の笑顔が見たい、と冬香は常々願っていた。笑ったら、きっともっと綺麗だろう、と思っていた。
いま目の前にいる彼は、確かに笑んでいる。間違いなく笑っている。
でも、そんな笑顔は見たくない。底冷えするような微笑なんて真っ平ごめんだ。

「きょおすけ? どうしたんだよ? おめえ、おかしいぞ?」

返事はなかった。代わりに京介は、冬香を脇に抱えて歩き出した。

「おい、ちょっと、なんだよっ? やめろってっ。オレぁまだ髪も身体も拭いてねえんだからっ。
んなビシャビシャなのに、どこ連れてこうってんだよっ?」

精一杯暴れるが、力強い腕には到底敵わない。

「どういうつもりだ、おめえっ!? オレの言うこと聞こえねえのかっ!?
なあ、きょおすけってばっ! なんとか言えよっ!」

無言のまま自室へ行き、ベッドのそばで立ち止まると、京介は冬香を放り投げた。
痩身がマットの上で軽くバウンドする。

すぐに上体を起こし、冬香は美顔を鋭く睨みつけた。
そのとき、京介が自身の部屋着のズボンを引き裂いていた。

初めて見る彼の全裸は、見事というしかない。惚れ惚れするくらいだ。

しかし、冬香は戦慄を覚えた。
京介の股間のものが、濃いめの茂みの中で隆々と屹立していたからである。
それは彼の体躯に比例し、かなりの長さと太さを持っていた。

「なっ……なんだよっ……!? なんで素っ裸になんだよっ……!?
なんでンなモンおっ勃ててんだよっ……!? なにしやがるつもりだよっ……!?」

問う声まで震えてしまう。抑えられない。

(まさかっ……コイツ、まさかっ……!?)

この雰囲気は知っている。少年院で体験したことがある。
数人に押さえつけられ、男のものを咥えさせられたときと同じだ。

あのときは、とても気持ち悪かった。
ただそれだけで、恐怖などは感じなかった。

でも、今は怖い。どうしようもなく怖い。
腕力では京介に太刀打ちできないと、喧嘩をしても絶対に勝てないと、身をもって知っているからかもしれない。

とっさに冬香は逃げ出した。本能的な行動だった。
素早くベッドから下り、開け放たれたままのドアを目指して走って行く。

個室の中は暗いが、居間のほうは照明がついていて明るい。
だから、ソファーの端で丸くなって震える愛猫の姿が見えた。どうやら怯えているようだ。
なにがそんなに恐ろしいのか。

次の瞬間、冬香は京介に腕をつかまれた。逃げられなかった。

「や、やめろよっ!! 放せっ!! 放せったらっ!!」

たまらず叫び、もがいて反抗すると、鉄拳が飛んできた。
往復で頬を殴られ、肉を打つ音が立て続けに響く。
めまいを感じた。もちろん激痛も。

「ってっ……!」

よろめいたときに腕を引かれ、再びベッドに放り投げられてしまった。

体勢を整える間もなく、大きな手に髪を鷲づかみにされ、無理やり起こされる。
そして四つん這いの格好で、ベッドのそばに立つ京介の男根を口内へねじ込まれた。

「っ……!!」

痛い。顎がどうにかなってしまいそうだ。
更に深く押し込まれたので、痛みが増した。

今度は苦しくなる。喉の奥を刺激され、吐き気が込み上げてくる。

(こっ、このヤロッ……!!)

冬香は思い切り咬みついた。京介の陰茎を咬み切るくらいのつもりで、渾身のチカラを加えた。
けれど、なんの効果もない。文字通り歯が立たない。驚異的な硬さだ。

「う―――ぐっ……!」

堪えきれなくなって、ついに嘔吐してしまった。

しかし、それでも行為が中断されることはない。
京介がオレンジ色の髪をつかんだまま、その手を前後に激しく揺する。

苦しさのあまり、涙がこぼれて冬香の頬を濡らした。止まらなかった。

(なんでっ……? なんでだよっ……? なんでこんなっ……?)

疑問だけが、頭の中をぐるぐる回る。

信じられない。とても現実のこととは思えない。
底抜けに優しい京介が、おまえが望むならなんでもすると言ってくれた彼が、
2回も顔を殴りつけるなんて、これほど惨い真似をするなんて。

(違う、違うっ……! これ、きょおすけじゃねえっ……!)

もしも夢なら覚めてくれ。いつもの京介に戻ってくれ。頼むから、お願いだから、一刻も早く。
こんなのはいやだ。いやだ。いやだ。いやだ。

(やだよ、きょおすけっ……!)

絶え間なく何度も頭を揺すられているため、段々気が遠くなっていく。

口淫の強制は、一体どれくらいのあいだ続いたのか―――

不意に京介が手を止め、同時に息を詰めて吐精した。ものすごい量だ。
冬香の口では受け止めきれず、唇の端から溢れてしまう。

最後の一滴まで放出すると、ようやく彼はオレンジ色の髪を放した。

冬香はシーツに突っ伏し、口内の吐瀉物と精液を吐き出した。
いやな匂いが鼻をついた。不快でたまらなかった。

激しく咳き込んだあと、胸を喘がせながら顔を上げる。京介を見上げる。

美顔には依然、微笑が浮かんでいた。やはり冷たい笑みだ。
股間のものは未だ萎えていない。変わらず天を仰いでいる。

いきなり窓から雷光が差し込み、京介の全身を照らした。
その様は異様で、彼が一層恐ろしく見えた。

「―――やっ……!」

大きな手が伸びてくる。うつ伏せに押さえつけられる。
必死に暴れても意味がない。どうやっても振り払えない。

京介がベッドに乗った。そのまま小さな背中に覆いかぶさった。
そして己れ自身に片手を添え、その先端で冬香の双丘を割り、奥の蕾にあてがう。

「っ……!!」

悪寒が走った。瞬時にして総毛立った。

「や、やだっ!! やめろっ!! やめてくれっ!! 頼むからっ!! きょおすけっ!! きょおすけっ!!
きょおすけええええええええええええええええええええっ!!」