DISTRESS〈4〉




年の頃は20代半ば。凹凸の少ない丸顔に濃い化粧を施し、波打つ長い髪は金色だが生え際だけ黒く、
豊満な身体をピンクのTシャツで包み、短いスカートから出た脚もまた肉感的だ。
大量のアクセサリーを付け、ゴールドのラメ入りのミュールを履き、同じくラメ入りのバッグを肩に掛けているが、
どれも皆ひどく安っぽく、まるでセンスがない。しかも、なんだか低脳な感じの女性である。

彼女が続けて言った。

「ねえ、冬野、あのときのこと憶えてる? アタシを抱いてくれたよね。だから妊娠したんだよ?
アンタの子だから産んだんだよ? アンタに迷惑かけたくないと思って今まで黙ってたけど、もう限界なんだ。
お金ないし、精神的にも辛いし、ひとりじゃもう無理。だから頼むよ。
アタシと結婚して、一緒に娘を育ててくれないかな? 一生のお願いだ。助けてよ」

京介は無表情で、女性に対して一言も一瞥もくれない。
彼女のことより冬香の様子が気になる。真っ青な顔で、すっかり硬直してしまっているからだ。

女性が冬香に視線を移した。

「アンタ、なに? 冬野の今の彼女? だったら冬野と別れてくれるよね?
アンタだって、あの子が可哀想だと思うだろ?」

とっさに京介は冬香の前に立ちはだかって彼を背後に隠し、槇村を見やった。

厳しい表情をしていた槇村が、即座に頷いて応え、女性へ歩み寄って行く。

「詳しいお話はわたしが伺います。ひとまず場所を変えましょう。こんなところで話すようなことではありません」

「ううん、もうアンタはいいよ。冬野と直接話すから」

「ここから少し離れたところに静かなカフェがあります。そこなら落ち着いて話ができます。さあ、行きましょう」

「アタシの言ったこと聞いてた? もういいったら」

「わたしの車へどうぞ。お子さんもご一緒に。近くに停めてありますので」

「ああ、もう、わかんない人だね―――えっ? ちょっと、冬野!」

槇村が女性に話しかけているあいだに、京介は冬香を抱えるようにして正門を通り抜け、校庭へ入っていた。
IDカードを所持していて良かったと思う。

「冬野っ! 待ってよっ! 冬野ったらっ!」

「無理です。大学関係者以外は敷地内へ入れません」

「どうしてくれんの、アンタッ? やっと冬野に会えたのにっ」

「ですから、わたしがお話を伺います」

そんな声を背中で聞きながら足早に歩き、京介は中央玄関から学食へ直行した。
夏休みの上、昼食時を過ぎているため、かなり空いている。客は2、3組ほどしかいない。
とりあえず冬香を窓際の席に座らせ、カウンターへ行ってコーヒーをふたつ注文し、それを持ってテーブルへ戻った。

「―――冬香」

返事はない。未だに呆然としている。さすがにショックが大きいらしい。

もう1度名前を呼んでみたが、結果は同じだ。

今度は腕を伸ばし、彼の頬を軽く叩いた。それでも反応がない。

やむを得ず京介は隣に移動して、まず適量のコーヒーを口に含み、冬香の顎をつかんで上を向かせ、唇を合わせた。

「……っ!」

こくんと喉が鳴ったのを聞いてから顔を離すと、冬香は真っ赤になっていた。耳まで赤い。

「おおおおおめっ、ななななんつうことっ」

「やっと我に返ったか」

「いいいいくらなんでも、んな真似しなくてもっ」

「なにかを飲ませるのが一番効果的だと思ったんだ」

「けけけけど、ここ、学食じゃんっ。もし、もし誰かに見られたらっ」

「ほかの学生がいるテーブルからは死角になってるし、窓の外には誰もいない」

「う……」

言われてみれば、確かにそうだ。

次の瞬間、冬香は思わず眉を寄せた。

「うえ〜、苦ェ〜」

京介がカップにミルクをたっぷり入れ、それを差し出す。

「ほら、口直しだ」

「あ、あんがと……」

コーヒーを何口か啜ってから、はぁ……と息を吐いた。

「落ち着いたか」

「うん、まあ……」

「なにから説明すればいい」

「……話してくれんの?」

「知らないままだと気掛かりだろう」

「そりゃあ、まあ……」

気掛かりというか、心配というか、不安というか。

「ただ、あまり気分のいい話じゃないかもしれない。
それでも構わないなら話すから、訊きたいことを言え。遠慮はいらない」

「……うん……」

ありがたいけれど、なにをどう問うべきか悩む。まだ少し頭が混乱している。

「えっと……さっきの女、おめえの昔のカノジョ、なんだよな……?」

「いや、違う。誰なのか、わからない」

「はあ?」

冬香は目を剥いた。

「なんでだよ? ガキできるようなコトした仲なんだろ? 
なのに、わかんねえの? おかしくねえか、それ?」

「俺は昔、近付いて来た女ほとんど全員と寝た。
半端な数じゃないから相手の顔も名前も憶えていない。
さっきの女は、その中のひとりだと思う」

「―――……」

まるで不味いものを飲み込んだような
表情(かお)をして、冬香は首をかしげた。

「……なんで、そんな……?」

「荒れてたからだ。それに、尋常じゃない射精欲があって、自分で処理しきれないほどだった。
だから相手は女なら誰でも良かった」

「……う〜……」

冬香が小さく唸る。やはり不味いものを飲み込んだような表情で。

(なんか、ナマナマしい話になってきたなあ……)

だが、ついでなので質問しようと決めた。

「あのさ、さっきの女は“抱いた”っつったのに、おめえは“寝た”っつってっけど、
どっか違うのか、それ……?」

「認識の違いだろう。
いつも俺はただ横になってタバコを吸ってただけで、女が俺に跨って腰を振るというセックスだった。
キスも愛撫もしなかったんだから“抱いた”とはいわない」

「……あー……」

一段と生々しい話になったが、なんとなく理解できた冬香だ。

しかし、もうひとつ疑問が浮かんできた。

「けど、そんなんで、女が文句たれたりしなかったわけ……?」

「面倒だから、そういう女とは寝なかった」

「……そんでも、いっぱい近寄って来たんだ……? 
まあ、おめえなら、女がほっとかねえたぁ思うけどさ……」

「大半の女たちの目的は頭の彼女になることだ。
そうすれば配下の連中を顎で使えるし、ちやほやされて、ほかの女からは羨望される」

「アタマ? って?」

「当時、俺は暴走族にいて、一応リーダーをやってた。
自分から望んだわけじゃなく、先代に指名されたんだが」

「え……」

冬香は目を丸くした。

意外だ。京介と暴走族―――なんだかイメージが結びつかない。
けれど、単車に乗る彼は、ものすごく格好良かったのではないだろうか。

「……でも、暴走族って今もあんの? かなり前になくなったんじゃねえの?」

「まだある。全盛期に比べると、ずいぶん数が減って規模も小さくなったらしいが、絶滅したわけじゃない」

「なら、近付いて来た女って、えっと、レディース? とかいうヤツ?」

「いや、取り巻きみたいなものだ。俺がいたところは男の構成員だけだった」

「ふうん……。じゃあ、おめえが少年院に入ったのって……」

「敵対してたチームと派手な喧嘩をやったからだ」

「派手?」

「最初は小競り合いだったのに、段々大きくなって、最後にはちょっとした戦争だった。
結果、無傷だったのはひとりもいない。大半が重傷を負ったし、その怪我が元で何人か死んだと聞いた」

「―――……」

ここまでだ、と冬香は思った。

本音をいえば、京介の過去はとても気になる。なぜ暴走族に入ったのか、なぜ荒れていたのか、
その頃どんな気持ちで日々を過ごしていたのか、いろいろ知りたい。訊きたい。
けれど、それらは、先程の女とは直接関係のないことだ。関係のないことを問うのはルール違反だと思う。
だから、話を戻すことにした。

「あのさ、こりゃオレの意見なんだけど……」

「なんだ」

「さっきの女、すげえ身勝手じゃねえか? テメェで産もうって決めて産んだくせに、
ひとりじゃキツくなったから助けてほしいなんて、今更なに勝手なことぬかしてやがんだって感じ。
だったら最初に頼みゃあ良かったんだ、ガキできたから結婚してくれって、一緒に育ててくれってさ。
けど、そりゃ、大人側の事情であって、ガキのほうにしてみりゃ知ったこっちゃねえよな。
だから、おめえ、ちゃんと結婚して、あのガキんちょ育てなきゃダメだと思うぞ?
まだ、ちっこかったじゃん。父ちゃんが必要だよ、やっぱ」

京介の予想通りだった。冬香の生い立ちからすると、
子供というものに敏感に反応し、そんなことを言い出すのではないだろうかと考えていたのだ。

「それが男として、人間として、当たり前の責任の取り方じゃねえ? 違う?」

「いや、違わない。本当に俺の子供ならな」

「えっ?」

冬香は驚き、双眸を見開いた。

「お、おめえの子じゃ、ねえの?」

「断言はできないが、可能性はゼロに近い。
いつも自分でゴムを用意して必ず2枚重ねて使ったし、それをいやがる女とは絶対に寝なかった。
ゴムに穴でも開いていなければ妊娠はあり得ない」

(ゴム? って、なんだっけ?)

つい首をひねったが、すぐコンドームのことだと思い至った。

「じゃあ、さっきの女、ウソついたかもしんねえのか? なんで?」

「さあ。それに、俺は少年院から出たあと、当時の仲間とは一切接触してないんだ。
だから、この大学に入ったことは誰も知らないはずなのに、あの女は知ってた。
もうひとつ、なぜ槇村さんと一緒にいたのか、それもわからない」

「あー、うん。……そういや、マキちゃんに任せてきたけど、良かったわけ?」

「槇村さんから海神さんに連絡がいって、適切に対処してくれるだろう。
昔のことはすべて海神さんに話してあるし、
過去に関わった人間が現われて困った事態になったら知らせろと言われてる」

「そっか」

次いで冬香は申し訳なさそうに京介を見つめた。

「……あの、ごめんな。ホントは、昔のことなんて言いたくなかったよな?」

「謝るな。構わないから」

この程度までなら一向に構わない。そうでなければ話していない。

「それより、いやな気分にさせたか」

「え、ううん、ちっとも。ゴーカンとかしたっつうわけじゃなくて、どの女とも合意の上だったんだろ?
なら、いいんじゃねえの? 悪ィ連中とつるんで悪ィことやったのはオレも同じで、そりゃお互いさまってヤツだしさ。
まあ、とにかく、もう過去のことなんだからオレにゃ―――あ……」

ああ、こういうことか……と呟きながら、冬香は頷いた。

「この前おめえが言ってくれたこと、よーく理解できたぜ。
昔なにやったかなんて、ホント関係ねえな。それ知っても気持ちは変わんねえや、全然」

そして美顔を見上げ、にこっと笑む。

「やっぱ、おめえが好きだよオレ。うん、好き。大好きだ」

「―――」

あまりにも堂々と告げられたので、さすがに京介は困惑してしまった。
もちろん表情や態度には微塵も出さなかったが。

次の瞬間、冬香がギョッと目を剥き、その頬がカッと真っ赤に染める。

「あ、や、いいい今のは、あの、その、別に、へへへ変な意味じゃなくて、だから、つまり、
友達としてっつうか、同居人としてっつうか、なんつうか、えっと……えっと……えっと……っ」

しどろもどろの彼の頭を、くしゃっと大きな手が撫でた。

「わかってる。慌てなくていい」

「……う……うん……」

冬香はカップに手を伸ばし、京介もコーヒーを飲んだ。

「そろそろ出るか。ペット・ショップへ行かないと」

「……大丈夫かな? さっきの女、まだ門のとこにいるんじゃ……」

「いや、もういないだろう。槇村さんが連れ出してくれたはずだ」

 実際その通りで、正門には誰もいなかった。

 ふたりは必要な買い物を済ませ、帰路に就いた。

 帰宅して間もなく、固定電話が鳴り出す。槇村からだった。