CAMPUS〈4〉




「あのさ」

と、いきなり口を挟んだのは、周囲の学生の中のひとりだった。

「今の最後のひとことは確かにキツかったけど、それより彼女たちの言ってることおかしいよ。
別れろとか、ふさわしくないとか、道理に合ってない」

「うん、同感」

と、ほかの学生が頷く。

「彼氏を奪われたんならともかく、自分が横恋慕しといて『別れろ』はないよな。
ふさわしいかどうかなんて、他人が決めることでもないしさ」

「あたしもそう思う」

また別の学生が加わった。

「『べったり一緒にいるから近付けない』ってカップルに言うのも変よ」

「それに、その前にも顔がどうとか身体がどうとか言ってたじゃない。どっちがひどいの?」

「そうね。あれは聞いてて気分が悪かったわ」

「よくギリギリまで我慢したよ、その子。本人が切れなきゃ俺が切れてた」

「あたしも頭にきてたから、今の怒鳴り声を聞いてスッとしたわ」

「間違ったこと言ってなかったしね」

「うん、理に適ってた。ただ、言葉遣いが乱暴なだけ」

「どっちが悪いかは、はっきりしてるよな」

「一目瞭然だろ。誰が見たって同じこと思うさ」

次々と非難が飛び交う。皆、容赦がない。

そんな中、ふたりの女は反論もできず、さすがにいたたまれなくなったらしい。
慌ててバッグなどの荷物を手に取り、ばたばた走って出入り口へ向かった。

そこに、京介が立っている。いつの間に戻って来たのか。

彼に気付いた女たちは、青ざめた顔をもっと青くし、更に急いで彼の脇を通り抜けて行った。
まるで逃げるようだった。

「……えーっと」

ようやく冬香が口を開く。
まさか誰かに援護されるとは思っていなかったので、少々あっけに取られて成り行きを静観していたのだが、
京介の姿を見て我に返り、ここはやはり礼を述べるのが筋だろうと思い立ったのである。

「あの、あんがと、みんなして庇ってくれて」

ぐるりと周りを見渡しながら告げる。

「いいのよ、そんなこと。それより、いやな思いしたわねえ」

「あんなの忘れちゃいな。気にすることないからさ」

「そうそう、妬いてるだけだから。醜い嫉妬だ」

「お似合いだぜ、彼氏と。すんごい美男美少女で」

「うん、ほんと。小さくて可愛いし、その髪の色とピアスも似合ってるわ」

重なる激励に、冬香は困り果てて苦笑するしかない。
自分は男なのだと明言したいけれど、なんだかちょっと言いにくい雰囲気である。

京介を見ると、彼は顎を軽くしゃくった。帰ろうという意味だ。

頷いた冬香は、トレイと食器をカウンターに返し、京介のそばへ駆けて行く。
再び学生たちに「ホントあんがとな」と告げてから、学食をあとにした。

その場に残った者たちは、ほほえましい気分で見送った。

「みんなに励まされて照れてたな、あの子。益々可愛い〜」

「ねえ。なんだか小動物みたい」

「ちょこちょこ動くとこも愛らしいわ」

「……あの、俺、ファン・クラブの女の子から聞いたんだけどさ」

それまで黙っていた学生の中のひとりが、不意に言い出す。

「あの子、実は男なんだって」

「それ、あたしも聞いた」

「うん、あたしも」

「俺も聞いた。信じられなかったけど」

瞬間、水を打ったように静まり返ったが、次いで一斉に絶叫が響き渡る。

「えぇぇぇ――――――――――――――――――――――――――っ!?」

「ウソォォォ―――――――――――――――――――――――――っ!!」




京介と冬香は校内の廊下を歩いていた。

「ああいうことはよくあるのか」

「って、さっきの? ううん。おめえがオレのそばにいねえときだけだから、たまにだよ。
いつもシカトしてたんだけど、あれは我慢できなかったなあ」

「髪とピアスのほかに、なにを言われた」

「あ、じゃあ、そっからあとは聞いてたわけか。
えっと、顔が中坊だとか、身体がちっこいとか、背が低いとか。
ああ、胸がねえとも言ってたっけな。当たり前だっつうの。あったら怖ェぜ」

間もなく中央玄関に着き、校庭へ出た。
日差しがきつい。きょうも夏のように暑い。

「うえ〜、たまんねえなあ、もお」

「寒いのが苦手じゃなかったのか」

「暑ィのも苦手なんだよ。適温の幅が狭ェんだ」

噴水のそばを通ると、ほんのり涼しかった。

「おめえは? 寒ィの平気そうだったけど、暑ィのは?」

「平気だ。あまり汗もかかない」

「うわ、うらやましい体質だな、そりゃ」

芝生では、相変わらず学生たちが思い思いのことをやっている。
カップルらしき男女の姿も随所にある。

その仲睦まじい様子をしばらく眺めたあと、

「……あのさあ、きょおすけ」

ぽつりと冬香が言った。

「おめえ、カノジョっていねえの?」

「なんだ、いきなり」

「別に、深い意味はねえよ。ただ、なんとなく」

「いるように見えるか」

「あ……ううん」

確かにそうだ。もし恋人がいたら、ずっと部屋で本を読むようなことはしないだろう。
もっと頻繁に出掛け、デートを楽しんだりするはずだ。

「でも、昔はいたんだろ?」

「いや」

「えー? なんで? 女がほっとかねえだろ、おめえなら―――あ、もしかして、めちゃくちゃ理想が高ェとか?」

「さあ」

「さあ? って、わかんねえの? 自分のことなのに?」

「女を好きになったことがないから」

「え……って、男のほうが好きってこと?」

「どうしてそういう話になるんだ」

「あ、違うか。ごめん、つい」

やがて正門が見えてきた。ふたりは各々IDカードを取り出す。

「どこか寄りたいところはあるか」

「ううん。さっさと帰って、ちゃぺと遊ぶ」

カードを使って正門を通り、いつもの道のりを歩いた。マンションへの最短距離だ。
だが―――

「……気付いてるか」

「あ、やっぱり? そういう気配はしてたよ、ずっと」

「次の角を曲がったら走るぞ」

「うん。しょうがねえけど、めんどくせえなあ」

角を曲がった瞬間、ふたりは同時に駆け出した。

時々、正門から尾行してくる女子学生がいるのだ。どうやら住居を突き止めたいらしい。
マンションの場所が知れると厄介なので、そのたびにふたりは尾行を撒いてから帰ることにしている。
遠回りになるが、やむを得ない。

ようやく帰宅したとき、冬香は汗びっしょりになっていた。

「あっち〜。シャワーだ、シャワー浴びてくる。べたべたして気持ち悪ィ〜」

と、ぼやきながら浴室に直行。

京介は居間へ行ってエアコンの電源を入れ、それから自室で着替えた。

ちゃぺはソファーの上にいる。脚を伸ばして横たわっている。
締め切った部屋の中で暑い思いをしたのだろう。さすがに元気がない。
それでも京介に気付くと、ゆっくり顔を上げ、にゃあと鳴いた。
おかえりと告げたのか、暑くてたまらないと苦情を言ったのか。

冬香が居間に現われた。バスタオルで髪をがしがし拭きながら歩き、自室へ入って行く。
一糸まとわぬ姿だが、まったく気にしない様子だ。

インターフォンが鳴った。
京介が受話器を取り、何度か返事をして切った。

「なにー? 誰―?」

「おまえに荷物だ」

「へ? 荷物?」

届けられたのは、大型の段ボール箱3個だった。送り主は兄たちの連名になっている。

タンクトップとジョギング・パンツを着て自室から出て来た冬香は、箱を見た途端、はーっと大きく溜め息をついた。

「ったくもお。そんなに置く場所ねえから、あんま送んなって言ったのにー」

「なんだ、これは」

「服だよ。オレぁサッパリ興味なくて、着れりゃあなんでもいいから、いっつも兄ちゃんたちがいろいろ買ってくれるわけさ。
嬉しいんだけど、困るんだよなあ、こんなに送られても。家にだって山ほどあるしさあ」

そういうことだったのか、と京介は思った。
初めて洗濯をしたときに気付いたのだが、冬香の洋服はすべて日本に輸入されていない海外の人気ブランド商品で、
《FUYUKA》のタグが付いていた。
ファッションにこだわりを持っているようには見えないのに、オーダーメイドばかりとは、まるで解せなかった。
なるほど、兄たちが末弟のために作らせたわけだ。可愛い弟に上質のものを着せたいという気持ちがあるのだろう。
それに、既製品では冬香のサイズに合わないのかもしれない。

「なあ、これ全部、仕舞えるかな? ムリだよな? 家に送り返そっかなあ」

「俺の部屋のクローゼットに仕舞えばいい」

「え、余裕あんの?」

「ああ、服はそんなに持って来てないから」

「そういや、おめえも興味なさそうだよな?」

「おまえと同じだ。着られればなんでもいい」

ちゃぺがやって来て、ひょいと立ち上がり、段ボール箱に前足を掛けた

「お、片付け手伝ってくれんのか? よし、じゃあ任せた。それ開けてくれ」

ちゃぺが夢中になって爪を立て、ガリガリと引っかく。

その様子が可愛くて、冬香は笑った。まろやかな笑顔だった。

京介の眼差しもまた、とても穏やかだった。