CAMPUS〈3〉




ファン・クラブのメンバーが懸命に広めた結果なのか、それとも単に短くて呼びやすいからなのか、
海神の考えた愛称が学生たちのあいだに定着してきたらしい。
ふたりで連れ立って構内を歩いていると、
「あ、”ウインターズ ”だよ、ほら」などと囁く声を頻繁に耳にするようになったのである。

なんだかなあ……と思う冬香だったが、すぐに慣れた。
元々京介のそばにいるだけで目立ち、どこへ行っても注目されていたので、
今更なんと呼ばれようが別にどうということはない。
勝手にしやがれ、という気分だ。

逆に、ありがたいこともあった。
冬香が実は男だと知る者が、わずかながらも増えたのである。
それは、ほかならぬファン・クラブの功績だろう。
おかげで、トイレへ行くと、“あ、本当にそうなんだ”という表情を見せる男子学生と出くわすようになった。

(全員そうだと嬉しいんだけどなあ。ま、いきなりはムリか。しゃあねえやな)

そんなことを思いながら小用を済ませた冬香は、手を洗って廊下へ出て、窓際に立つ京介の元へ急いだ。

「ごめん、待たせて。ちょっと混んでたからさ」

「いや。じゃ、行こう」

ふたりは並んで歩き出した。

「きょうは次の授業で終わりだよな? そのあと、まっすぐ帰る?」

「どこか行きたいところでもあるのか」

「うん、学食。ハラ減っちまったよ」

「わかった」




海神学院大学の学生食堂は、南校舎の端に位置している。
全面ガラス張りのため日当たりが良く、面積が広い上に天井も高い。
インテリアが凝っていて、椅子とテーブルの機能およびデザインは共に秀逸だ。
学食というより、レストランといったほうがいいだろう。
それに、和洋中とメニューが豊富で、味は文句のつけようがなく、デザートも揃っている。
しかも、リーズナブルな価格に反し、非常に量が多い。食べ盛りの若者が大勢いるゆえの配慮だ。

まだ昼前のため空席が目立つ中、ふたりは窓際のテーブルに着いた。
京介のほうはコーヒーだけだが、冬香のトレイにはカツ丼と親子丼、天津丼、たぬきうどんが乗っている。
たぶん足りないので、あとで追加するつもりだ。

「いっただっきまー」

ぱちんと箸を割って、まず親子丼から。うどんは味噌汁代わりである。
そしてカツ丼まで平らげたあと、冬香は正面の京介に目を向けた。

「なあ、もうすぐゴールデン・ウィークじゃん。おめえ、どっか行くのか?」

「いや、マンションにいる」

「ふうん。んじゃ、オレもそうすっかなあ」

「実家に帰らないのか」

「誰もいねえもん。じいちゃんはヨーロッパのほう行ってるらしいし、
兄ちゃんたちは日本の祝日と関係ねえとこで動き回ってっから休みじゃねえしさ。
あー、でも、タカじいとワンコに会いてえなあ。ちょこっとだけ帰ろっかな?」

ふと京介は思った。そういえば、冬香の口から祖父と兄たち以外の家族の話がほとんど出てこない、と。
初めて会った日の夜、自分の名前の由来を語ったときに両親のことを言っていたが、あれだけだったと記憶している。
もしかしたら実家に住んでいないのだろうか?

なんとなく気になり、冬香の食事が終わるのを待って訊いてみた。

「親はどうした」

「え、あれ? 言ってなかったっけオレ?」

首をかしげ、水を飲んで、冬香は改めて京介を見据える。

「死んじまったんだよ、ふたり一緒に。オレが13んとき、飛行機事故で」

「―――」

「結婚記念日だからってんで、ふたりで旅行に出掛けてさ。その帰りだった。
えっと、どこの国だったかなあ? よく憶えてねえんだけど、とにかく夜中に連絡あって、じいちゃんと一緒にブッ飛んでって、
そしたら兄ちゃんたちが先に着いててな。たまたま近くの国で仕事してたからなんだけど。
んで、遺体安置所っつうの? じいちゃんはそこに入ったんだけど、オレにゃ入るなって兄ちゃんたちが言うんだよ。
ひでえ状態だから見ねえほうがいいって、身体張って止めんの。
でも、やっぱオレとしちゃ会いてえじゃん、どうしても。だから兄ちゃんたちブン殴って蹴っ飛ばして、無理やり入ってさ。
そしたら、父ちゃんと母ちゃん、お互いをかばうみてえに抱き合ってた。絶対離さねえぞーって感じ。
めちゃくちゃ仲いい夫婦だったけど、最期まで変わんなかったよ。抱き合ったまんま焼け焦げてた。真っ黒だった。
なのに、母ちゃんのピアスだけは無傷だったんだよな、どういうわけか」

と、冬香は自分の耳を撫でた。エメラルドのピアスが淡く輝く。

「結婚記念日に父ちゃんが母ちゃんにプレゼントしたヤツで、オーダーメイドの一点物だから、これで身元が判明したんだって。
でなきゃ身元不明の遺体になってたらしいや。ま、あんな黒焦げじゃ当たり前だわな。
んで、兄ちゃんたちに持ってろって言われたんで、こうやってオレがつけてんだけどさ。
―――つうわけだ。えっと、わかったか? ほら、すんげえヘタクソじゃんオレ、説明すんの。わかりにくかったかな?」

「いや、よくわかった」

そう言って、京介は片腕を伸ばし、指先で冬香の目尻を拭った。
指先が濡れる。

それを見て、冬香は自身が涙を流していることに初めて気付いた。

「え? え? あれ? なんで? いつの間に?」

驚きながらも、両の袖口でごしごしと顔を拭く。

「すまない。辛いことを思い出させた」

「や、いいよ、別に謝んなくたって。オレこそごめん、こんな、いきなり」

「いや、気にするな」

「っかしいなあ。なんでだろ? もう平気だと思ってたのに」

「―――もっと食べるんじゃないのか」

「あ、うん、喰うよ、もちろん。次はなんにしよっかな」

冬香が席を立ってカウンターへ向かい、
京介はタバコを取り出した。だが、蓋を開けたら中は空だ。
そういえば吸いきってしまったのだと、今更ながら思い出す。

冬香が戻って来るのを待って、京介は起立した。

「タバコを買いに行ってくる。おまえは食べてろ」

「うん、行ってらっさい」

学食から京介がいなくなると、途端に周りの声が耳に入ってきた。

「いやあねえ、こんなところで泣くなんて」

「冬野さんに同情されたいんでしょ、きっと」

(……って、オレのことか?)

箸を止め、冬香は声が聞こえたほうを見た。
数メートル離れた席に、ふたりの女がいる。どちらも厚化粧で、少々派手な格好をしている。
ちらちらと冬香に向ける目はきつい。明らかな敵意だ。

(あーあ、またかよ……)

もう何度目になるだろう。京介がいないときを狙って、わざと聞こえるように文句を言う女たちがいるのだ。
どうやら京介に熱を上げていて、子供っぽい恋人と付き合っているのが気に入らないらしい。

ああいう連中は無視するに限る。放っておけばいい。
冬香はコロッケを頬張り、あむあむ食べた。

「大体、男子トイレに入るなんておかしいわよ。変態じゃないの?」

「どうしてあんな変な子が冬野さんの彼女なのかしら」

(オレぁ男だっつーの。きょおすけのカノジョなんかじゃねえってば)

そう教えてやるのは簡単だが、あんな連中にわざわざ教える気にはなれない。
なんだか癪に障る。勝手に誤解してろ、と思う。

「それに、なに? あの顔。中学生じゃない、まるっきり」

「ほんと子供よね。身体が小さくて背が低くて、胸も全然ないし」

(あーハイハイ、その通り。っつうか、胸があったら変だっての)

冬香は黙々と食事を続け、ごっそさん、と箸を置く。
平然とした態度だ。

しかし、周囲の学生たちが落ち着きをなくしていた。
そわそわしながら、ふたりの女と冬香を交互に見つめている。
段々エスカレートする中傷に、あからさまに顔をしかめる者も少なくない。

「あと、あの髪。染めれば少しは大人っぽく見えると思ってんのかしら? しかもオレンジ色よ? 趣味悪いわねえ」

「あのピアスも悪趣味だわ。安っぽいじゃない。全然似合わないし」

「っ……!!」

切れた。ブチッと音がした。今の発言だけは許せない、絶対に。

冬香は椅子を蹴るようにして立ち上がり、女たちを鋭く睨みつけた。
そばへ行かないのは、そうしたら間違いなく殴ってしまうからだ。
どんなに腹が立っても女に手を上げてはいけないと、兄たちから教え込まれている。

「ったく、黙って聞いてりゃブチブチねちねちっ!! 
文句あんなら面と向かって堂々と言えよっ!! インケンな真似してんじゃねえっ!!」

ピン、と学食内の空気が張り詰めた。学生たちも気持ちもまた然りだ。

ふたりの女は驚愕している。
それまでまったく反応を見せなかった冬香が反撃してきたので、予想外の展開に驚きを隠せない。
しかし、すぐさま気を取り直した。

「じゃ、じゃあ言うわよっ! 冬野さんと別れなさいよっ! あんたなんか全然ふさわしくないんだからっ!」

「そ、そうよっ! あんたがベッタリ一緒にいるから誰も冬野さんに近付けないんじゃないのっ!」

「あぁ!? なんでてめえらにンなこと言われなきゃなんねえんだっ!!
きょおすけとオレがなにしようと勝手だろうがっ!! てめえらにゃ関係ねえっ!!
そもそもオレたちゃ離れらんねえんだよっ!! なんにも知らねえくせにゴチャゴチャぬかすなっ!!
おとなしくスッ込んでろ、このブスッ!!」

2対1の舌戦だが、遥かに冬香のほうに分がある。迫力も声量も桁違いだ。
しかも、とびきりの美少女にしか見えない彼に「ブス」などと言われたら、大抵の女性はとても太刀打ちできないだろう。

女たちは頬を紅潮させ、わなわなと震えている。

「な、なによ、それ……!」

「ひどい……!」