CAMPUS〈2〉




見事に晴れ渡った空の下、京介は校庭にいた。
広げた本を顔に乗せ、両手を頭の下で組んで、芝生に仰向けに横たわっている。
もちろん冬香の姿もあった。
京介の太腿を枕に、すーすーと静かな寝息を立てながら横臥している。

2限目が終わり、4限目まで授業がないので、暇を潰しているのだ。
もっと時間があれば一旦マンションへ帰るのだが、今回それほどの時間はない。
だから構内で、そうやって過ごす。いつものことだ。
雨の日ならば、学生食堂か理事長室へ行くのが恒例になっている。

校庭には、ほかにも学生が大勢いた。飲み物を片手に読書したり、菓子をつまみながら談笑したり、
上半身だけ裸になって日光浴したりと、あちこちで思い思いのことをやっている。
それもまた普段と変わらない光景だ。

「―――……!」

冬香が突然、がばっと起き上がった。

暑い。日が当たらない木陰にいるのに、薄手のパーカーと半袖のTシャツしか着ていないのに、
まだ4月も終わっていないのに、夏のように暑い。おかげで目が覚めてしまった。
汗をかいている。気持ち悪い。

袖で何度も額を拭ってから、京介に視線を向けた。
本で隠れて顔は見えないが、その身体は微動だにしないので、たぶん眠っているのだろう。

(うーん、どうすっかなあ……)

できれば学食か理事長室に避難したい。どちらもエアコンが効いていて涼しいはずだ。
でも、京介を起こすのは悪いし、ひとりで行くわけにもいかない。

「あのォ……」

おずおずと、3人の女子学生が近付いて来た。揃って緊張した面持ちである。

「あの、あたしたち、料理が趣味なんですけど……」

「きょう、これ、作ってきたんです……」

「良かったら、食べていただけませんか……?」

口々に小声で言って、それぞれが紙製のランチ・ボックスを差し出す。

冬香は首をかしげた。

「くれんの? オレに? なんで? 知り合いでもねえのにさ」

「だから、あたしたち、その……えぇと、つまり……」

「ファ……ファンなんです、早乙女くんと冬野さんの……」

3人の頬は赤い。

「は? ふぁん? って………………え?―――え? ファン?」

冬香は目を丸くした。

「や、ちょっと待て。それよか、なんで知ってんだ、オレたちの名前?」

「り、理事長が教えてくださいました」

「あの、おふたりのファン・クラブ作りたいって言ったんです。
そしたら、ぜひやりなさいっておっしゃって、名誉会長まで引き受けてくださいました」

「それに、おふたりの愛称も考えてくださったんです」

堰を切ったように次々と喋り出す。

その話を聞いているうちに、ようやく冬香は理解した。

要するに、同じ高校出身の3人は、海神大に入って京介と冬香を見知り、
なんて綺麗な人と可愛い子なんだろうと熱を上げ、勢い高じてファン・クラブ結成を思い立った。
海神と喋る機会があったので、そのことを言うと、
彼は笑顔で賛同した上、名誉会長就任を申し出て、愛称が必要だと提案したらしい。
現在は同志を集めているところで、順調にメンバーが増えている、ということだった。

(なんだよ、そりゃ……?)

唖然としてしまった冬香である。

京介が女に絶大な人気があるのは知っていた。通りすがりの女子学生たちが例外なく熱い視線を向けたり、
うっとりと見惚れたり、こそこそと追い掛けて来たりするからだ。
これほどの美人なのだから、至って当然だと思う。

けれど、なぜ自分も込みなのか? それがわからない。

「あのさ、ひとつ訊くけど、おめえら、きょおすけのファンなんだろ?」

「はい!」

と、3人は同時に大きく頷いた。

「だったら、オレぁ関係ねえんじゃねえの?」

「いいえ!」

と、3人は同時に首を横に振った。

「おふたりが一緒だからいいんですよォ」

「すんごい美少年と美青年ですもん。見てるだけで幸せになれます」

「え……なに? オレが男だって、ちゃんとわかってるわけ?」

「はい、理事長が教えてくださいましたから」

「最初は女の子だと思ってたんですけど、男の子だと知って益々いいなって」

「もう理想的なカップルです」

冬香は引っくり返りそうになった。

(カ、カップルって……)

「あ、すいません、長話しちゃって」

「とにかく、あたしたち、おふたりのファンですから」

「これ、食べてくださいね。お口に合えばいいんですけど」

一段と頬を赤らめ、恥ずかしそうにしながらも、3人はランチ・ボックスを冬香の前に置き、そそくさと走り去って行った。

「きゃ〜、喋っちゃったっ。近くで見ると益々可愛い〜っ」

「うんうんっ。それに、思ってたよりずっと話しやすかったねっ」

「ほんとっ。できれば冬野さんの顔も近くで見たかったなあっ」

そんな声が聞こえてくる。

(なんなんだ、一体……?)

不意に顔から本を持ち上げ、京介が上体を起こした。

「あ、うるさかったか? ごめん」

「いや、元々眠ってなかった」

「んじゃ聞いてた? 今の。カップルにされてんぞ、おめえとオレ」

「らしいな」

「おっちゃんもなに考えてんだかなあ。ファン・クラブとか、名誉会長とか。
―――よし、おっちゃんに会いに行こう。いいか?」

「ああ」

「いるかな、きょう?」

「さあ。行ってみないとわからない」




理事長室は開放され、自由に出入りできるようになっている。
非常に多忙な海神だが、時間の許す限り理事長室にいて、学生たちの話を聞くようにしているのだ。
彼との会話を楽しむために訪れる学生は男女問わず多い。

ふたりが行ったとき、海神は窓際に立ってタバコを吸っていた。

「やあ。空き時間かい?」

「うん。邪魔していいか?」

「もちろん。ちょうどほかの子が帰ったところだよ。さあ、入って掛けなさい」

冬香は海神に駆け寄り、いつも通りの挨拶を交わしてからソファーに座り、
京介はドアを閉め、軽く一礼して腰を下ろした。

海神が机上のインターフォンで、コーヒーをふたつ持って来るように告げる。

「あのさ、さっき、ファン・クラブ作ったっつうヤツらに会ったんだけど」

「ほう」

冬香の言葉に、海神は少々驚いた。
ふたりに声を掛けたいけれど近付き難い、と3人の少女から聞いていたからだ。

「んで、もらったよ、これ。喰ってくれって」

と、冬香が持っていたランチ・ボックス3個をテーブルに置く。

なるほど、それを口実にしたわけか、と海神は思った。
冬香の趣味が食べることだと教えたのが役に立ったらしい。

「でさ、なんでファン・クラブなんてのに賛成したわけ?」

「なにかや誰かに夢中になるのは素敵なことだからね。
それに、話をしてみたら中々いい子たちで、とても一生懸命だった。
だから応援したくなったんだよ」

「つったってなあ、理想的なカップルって言われたぞ?」

「あはは。まあ、結構ではないか。彼女たちが自由に妄想して楽しんでいるだけなのだから」

そして海神はタバコを消し、窓を閉め、椅子に座った。

「不服かい?」

「ううん、別に。勝手にすりゃあいいと思う」

「京介くんは?」

「構いませんが、実害があるようなら困ります」

「そのあたりは彼女たちに言い含めておいたよ。
もしふたりに迷惑が及ぶような言動があった場合、容赦なく厳重処分を科す、とも言っておいた」

「それなら結構です」

「なあ、おっちゃんが名誉会長なんだって?」

「当然ではないか。わたしがきみたちの一番のファンなのだからね」

一気に脱力しそうになった冬香だ。

「なに言ってんだよ、ったくもお……」

そのときノックの音が響き、トレイを持った槇村が入って来た。
ふたりと挨拶を交わし、トレイに乗っていたコーヒーをそれぞれの前に置く。
冬香の分はアイス・コーヒーで、ミルクが添えてある。

「あんがと、マキちゃん。いただきま。
―――あ、そうだ、おっちゃん、もうひとつ。愛称ってのも聞いたけど、それ、なに?」

「アイドルには不可欠だろう?“冬野くんと早乙女くん”や、“京介くんと冬香くん”では、ちょっと呼びにくいからね」

「アイドルって……」

またしても脱力しそうになった冬香である。

「んで、なんでそういう愛称になったんだ?」

「ふたりとも、名前に“冬”という字が入っているから、それに複数のSをつけたわけだよ。
中々いいネーミングだと我ながら思っているが?」

「うーん、微妙……」

そう冬香が呟くと、退室しようとしていた槇村がプッと小さく噴き出し、かすかに肩を震わせながら出て行った。

「……ひどいな、おチビさん。わたしの自信作なのに」

「あ、ごめん、つい本音が出ちまったぜ。すねんなよ、な? ごめんてば」



海神が考えた愛称は、「ウインターズ」というものだった。