CAMPUSU〈6〉




その晩、12時を過ぎた頃、じゃんけんで順番を決め、冬香が先に入浴した。
しかし、中々浴室から出て来ない。
のぼせやすいから長く湯船に入っていられないのだと言って、いつも20分くらいしか掛からないのに。

1時間近く経っても出て来なかったので、さすがに気になり、京介が様子を見に行くと、冬香は浴槽の中でぐったりしていた。
その顔は真っ赤だ。完全に湯中りしてしまったらしい。

京介は冬香をバスタオルでくるんで抱き上げ、自室のベッドへ運んだ。
そして水を飲ませ、氷嚢で顔を冷やしてやる。

「うー、気持ち悪ィ……」

「当たり前だ。そんなになるまで風呂に入る奴があるか」

「だよなあ……失敗したぜ……」

「―――そんなになるまで、なにを考えてた」

「え……」

とろんとした瞳がゆっくり動き、傍らの美顔をぼんやり見上げる。

「バレてた……?」

「ああ。ここ数日、よく物思いに耽っていただろう」

「……そっか」

そういえば、コイツには隠し事ができないんだった……と、今更ながら思い出す。

「俺では相談相手にならないか」

「んなことねえよっ」

冬香は必死の形相でガバッと飛び起きた。

その途端めまいに襲われ、突っ伏しそうになったところを、長い腕に抱き留められる。

「……んなことねえよ。おめえ、いつだって頼りになるもん……」

京介に弱々しく抱きつき、彼の匂いを吸い込みながら、そっと瞼を閉じた。

「……えっと……どう言やぁいいのかな……」

「思ってることをそのまま言えばいい」

「あー……オレって、すんげえヤなヤツかもしんねえ……」

「なぜ」

「だって、嬉しいんだもんよ……おめえがオレ以外のヤツと、まともに目ェ合わしたり、喋ったりしねえのが……」

「―――」

「最近、何度か、ちょっとオレが離れた隙に、おめえに女が近寄ってったじゃん……。
でも、おめえ、まるで相手にしなくって、オレのことしか見てなくってさ……。
そういうのが、なんかすげえ嬉しいんだ……。
おめえにカノジョができりゃいいって思ってたのに、本気でそう思ってたのに、
これじゃ矛盾してるよな……めちゃくちゃ矛盾してる……」

かすかに見開いていた目を伏せ、京介は薄く息を吐いた。

(なにを考えてるのかと思ったら……)

いつもいつも予想外のことを言い出し、驚かせてくれる。
おかげで飽きないというか、退屈しないというか。

「おめえ、女だけじゃなく、男とだって口聞かねえだろ……オレとしか仲良くねえじゃん……。
それが嬉しいんだ……理由は全然わかんねえけど……。なんか、気に入った友達ひとり占めして喜んでるガキみてえ……」

「それで、どうして“いやな奴”になるんだ。
子供も大人も関係なく、気に入ったのなら独占したくなるのは当然の欲求だろう」

「……そう、かな……」

「嬉しいなら喜んでろ。俺は、おまえ以外の人間と親しくするつもりはない」

「え……」

ぱちっと冬香は双眸を開けた。

「って、友達とか、作る気ねえの……?」

「おまえだけで充分だ」

「……じゃ、もし、おっちゃんが、おめえにオレを会わせなかったら……?」

「俺ひとりで大学生活を送ってた」

「……そ、っか……」

また瞼を閉じ、冬香は再び京介の匂いを深く吸い込んだ。
―――ほっとする。安堵する。

「んじゃ、別に、気にしなくていいんだな……」

「ああ。そういうことは早く俺に言え。ひとりで考え込むな」

「うん……」

「具合はどうだ。まだ気持ち悪いか」

「ちょっとクラクラすっけど、だいぶ楽んなった……」

「なら、もう寝ろ。俺は風呂に入ってくる」

「あ、ごめん、邪魔して……」

冬香が腕をほどいて離れると、京介は立ち上がり、隣室からパジャマと下着を持って来た。

「あんがと……。―――あれ……? そういや、ちゃぺは……?」

「ソファーの上で丸くなってる」

「んじゃ、寝かせておきゃいいな……」

「ひとりで着られるか」

「うん、大丈夫……」

のろのろと下着とパジャマを身に着け、冬香はベッドに横たわった。

それを見届けてから室内の照明を消し、浴室へ行って、京介はシャワーを浴びた。
熱い飛沫が肌に当たって流れていく。

(……もし、俺の正体を知ったら……)

それでも冬香は、先ほどと同じことを言ってくれるだろうか?
いや、それはない。絶対あり得ない。考えるだけ無駄だ。むなしい。

思考を打ち切り、入浴を済ませ、キッチンへ移動した。
氷と洋酒をグラスに入れ、それを持って自室へ戻る。
冬香が規則正しい寝息を立てているのを確かめてから、そっと隣に横臥し、枕元の本を取って広げた。

しばらくして、酒がなくなったことに気付き、居間へ出た。
ちゃぺの姿が目につく。相変わらずソファーの上で丸くなっている。

「………」

なんとなく気になり、近付いて触れてみた。

(―――!?)

頭を撫でても反応がない。
それどころか、身体が冷たい。しかも呼吸をしていない。

(まさか……!)

なぜ? どうして? いつだ? いつ息絶えた? 冬香にどう言えばいい? なんと説明すれば?

やがて、ぷるるっと身体を震わせ、ちゃぺが顔を上げた。
京介に気付くと、どうしたの? と問うように小首をかしげる。

体温は戻っていた。呼吸も然り。なんら異常はない。

ほっとした京介は、ちゃぺの喉元を撫でながら、軽く唇を咬み締めた。

(そうか……同じなのか……)

だとすれば、たぶん、ほかも大差ないだろう。

(―――すまない……)

勝手に過酷なものを背負わせてしまった。決して許されることではない。
だけど、どうか、どうか勘弁してほしい。
せめて寂しい思いはさせないから。絶対ひとりにしないから。いつまでも一緒にいるから―――


 *     *     *     *     *     *


ある日の深夜。
高級住宅地として名高い某所の一角に建つ、瀟洒な邸宅の広々とした居間で、
海神と槇村はワイン・グラスを片手に向かい合っていた。
ふたりとも入浴後ゆえパジャマ姿だ。
いつもはきちんと整えている髪が乱れ、前髪が額に落ちているため、普段よりも更に若く見える。

仕事が長引いて帰りが遅くなってしまったので、槇村は自宅マンションへ戻らず、海神邸に泊めてもらうことにしたのだ。
特に珍しいことではなく、週に2、3度は世話になっている。
その際、そうやって就寝前に軽く飲みながら様々な話をするのは、すでに恒例といってもいい。

仕事の話が一区切りつくと、槇村はボトルを手に取り、海神と自身のグラスにワインを注ぎ足しながら言った。

「ところで、例のスカウトマンの件ですが」

「ああ、返事が来たのかい?」

「はい、承諾するそうです。もう2度と現れないでしょう」

「そうか。これで冬香くんも煩わしい思いをせずに済むな」

彼から助けを求める電話が掛かってきたのは、夕方のことだった。
「なんとかしてくれよ、おっちゃん。タレント事務所とかモデル・クラブとかのスカウトが正門とこで待ってて、
しつこく勧誘すんだ。きょおすけもオレも興味ねえっつってキッパリ断わったのに、そんでも毎日やって来やがってさ。
このまんまじゃ切れちまうよ、オレ」と。
海神は即座に動き、手を打った。本領発揮である。

また、ふたりのことが外部に知られた原因を調査。
海神大の学生が隠し撮りした写真と動画をネットに投稿していたことが判明したので、
急ぎ削除させ、その学生からデータとディスクを没収すると同時に厳重注意を促した。
再度やったら退学処分および法的処置を辞さないという旨を添えて。

「しかし、あの子たちも気の毒に。周りが中々放っておいてくれなくて、次から次と問題ばかり起こる」

そう言いながら吐息し、海神はグラスに口をつけた。

「ですが、そのたびに親密になっていっているように感じます」

「確かにね。もう冬香くんは京介くんを身内と認識しているようだし、京介くんも同じような感覚を持っているだろう。
―――だが……」

「順調すぎて逆に不安、ですか?」

「ああ、その通りだ」

初めのうちは喜んでいたが、いくらなんでも上手くいき過ぎて、次第に不安が募ってきた。
今後、良くないことが起こりそうな、大きな落とし穴が口を開けて待っていそうな、そういう予感がする。
的中しなければいいのだけれど。

「……槇村」

「はい?」

「あのふたりを預かって同居させたのは、賭けだった―――と言ったら、きみは驚くかい?」

瞬間、槇村は双眸を見張った。

もちろんだ。ひどく驚いてしまう。
この上司は、なにを始めるにしても事前に充分なリサーチとシミュレーションを重ね、
不安要素があるときは徹底的に善処し、大丈夫だと判断できる状況を作ってから実行に移すのが常なのだ。
どのような策を講じても勝機が見えてこない場合には、決して手を出さない。
そうやって今まで数々の功績を上げ、周囲から信頼を得て、現在の地位を築いた。
賭けなどという冒険は、ただの1度もやったことがない。
誰よりも近いところで見てきたので、よく知っている。

「……らしくありませんね」

「まったくだ。自分でもそう思うよ。―――そうか、やはり驚くか」

海神は声を出さずに笑った。微苦笑だった。

「まあ、とにかく先のことを案じても仕方ない。またなにか起こったら確実に片付けるとしよう」

「はい」

「それにしても、今夜は一段と蒸すな」

「ええ。エアコンをつけますか?」

「きみは?」

「さすがに暑いですよ」

「では、頼む」

ふたりともクーラーが嫌いなのだが、今夜ばかりは耐えられない。

リモコンでエアコンの電源を入れてから立ち上がった槇村は、次いで窓を閉め、カーテンを引こうとして、ふと外を見やった。
上空には月が浮かび、広い庭を淡く照らしている。不快な湿気に反し、なんとも優雅な景観だった。