CAMPUSU〈4〉




翌日、ふたりは大学へ行かなかった。
冬香が明け方近くに食事をしてから寝付いたため、早い時間に起きられなかったからだ。
元々休むつもりでいたので、京介に不都合はなかった。

海神から電話が掛かってきたのは昼過ぎのことである。
いつものようにソファーに横たわって本を読んでいた京介が、受話器を取った。

『冬香くんの具合はどうだい?』

「もう大丈夫だと思います。普通に食べられるようになりましたから」

『そうか、それは良かった。電話の近くにいるのかな?』

「いえ、まだ寝てます」

『では、今のうちに訊くとしよう。
きのう、例の6人に会ったのだが、なぜ自分が気を失って倒れたのかわからないと口を揃えていたよ。
一体なにをしたんだい? 詳しく教えてくれないか』

「はい」

最初に見つけたのは、プレハブ小屋の前に立つ女ふたりだった。
前に学食で会った女たちだと即座に思い出した上、そわそわしながら周囲を見渡すという怪しい態度だったため、
あの中に冬香がいるのだろうと見当がついた。

だから、まず、ふたりに衝撃を与えて昏倒させ、それから小屋を揺らして男たちを自発的に外へ出させ、同じように片付けた。
手遅れになってはいけないと思い、駆け寄る間も惜しかったので、離れたところから実行した。

「ですから、気を失った理由も、俺がやったということも、わからなくて当然です」

『なるほど。それで、きみたちはどうしたい? 彼等を訴訟するかい?』

「いえ。放っておきます」

『いいのかい?』

「はい。冬香がそう言ってますので」

それゆえ、念のために現場から回収しておいたビデオカメラは、今朝のうちに捨てた。本体も中のディスクも粉々にして。

『しかし、6人とも、理屈にならない自己弁護を繰り返すばかりで、反省も謝罪の言葉もなかった。
しばらくはおとなしくしているだろうが、ほとぼりが冷めた頃にまた同じようなことをやるかもしれないよ?』

「2度目はありません。もう金輪際、冬香に手出しさせませんから。あの6人だけじゃなく、ほかの誰にもです」

海神の微笑の声が聞こえた。

『そうか、とても心強いよ。では、今回の件は不問に付すとしよう。
それから、ありがとう。冬香くんにもお礼を伝えてくれるかい?』

「―――」

『だが、これきりにしてほしいものだ。その心遣いは嬉しいが、
わたしのことよりきみたち自身のことを優先して考えてほしいからね』

(お見通しか……)

放っておくと冬香が決めたのは、「だって、訴えたりしたら、アイツら犯罪者になるわけだろ?
アイツらが前科モンになろうがどうなろうが知ったこっちゃねえけど、
おっちゃんの大学から犯罪者なんか出すのヤダもんよ」という理由だ。
彼の気持ちがよくわかるので、反対しなかった京介である。

『ところで、あしたは? 授業を受けられそうかな?』

「はい、そのつもりです」

『うむ。では、また会おう。冬香くんによろしくね』





そして次の日。ふたりは一緒に大学へ行き、絶えず行動を共にした。
まるで何事もなかったかのような、以前と変わらない態度だった。

学生たちの「仲直りしたみたいだね」と囁き合う声を遠くに聞きながら、校庭へ向かう。
空き時間を潰すためだ。

京介は木陰の芝生に横たわり、広げた本を顔に乗せた。
冬香もころんと寝転がって、京介の太腿を枕代わりにした。

相変わらず暑い。木の枝の隙間から見える太陽が眩しい。
だが、適度に風が吹いているため、不快なことはない。どちらかといえば心地好い。

「う〜、眠ィ。なんか頭もボ〜ッとする」

「半端な時間に寝て生活のサイクルが狂ったからだろう」

「だよなあ。だるくてしょうがねえや」

「きょうは次の授業で終わりだ。もう少しだけ、がんばれ」

「うん」

あくびをしつつ、冬香は寝返りを打った。

そのとき、視界に入ってきたものがある。噴水のところにいる女子の集団だ。
かなり離れているが、ファン・クラブの3人組の顔が辛うじてわかる。
こちらを見ているだけで、近寄って来ない。昼寝の邪魔をしてはいけないと思っているだろう。

「ちょっと、オレ、行って来るわ」

そう言いつつ身体を起こし、冬香は立ち上がった。

京介も本を手に取って起き上がる。

「どこへ」

「噴水んとこ。ファン・クラブの連中がいんだよ」

ぱたぱた走って行くと、女学生たちは一様に驚いた。冬香のほうから近付いて来るとは思っていなかったらしい。
次いで、「こんにちは」と口々に告げる。

「ちす。あのさ、おととい、オレがヤローに連れてかれるとこ見てたんだろ?
んで、どこに連れてかれるか見張ったり、きょおすけに知らせるために探し回ったりしてくれたんだよな?
あんがと。おかげで助かったよ」

「いいえ、お役に立てて良かったです」

そう笑顔で応えたのは、3人組の中のひとりだ。

「あの、そのホッペ、大丈夫なんですか?」

ほかの女子が心配そうに問う。

「うん、大したことねえ。かすり傷」

と、冬香は頬の絆創膏を指先で撫でながら答えた。
実はちょっと深い傷で、まだ少し痛むけれど、わざわざ言う必要はないだろう。

「あの、きょうは朝から冬野さんと一緒みたいですけど、独立は……?」

別の学生から遠慮がちに尋ねられ、つい苦笑してしまった冬香だ。

「あー、それナシ。ナシんなった」

「じゃあ元に戻ったんですねっ!?」

「これからもずっと一緒なんですねっ!?」

「もう離れたりしませんよねっ!?」

次々と言われ、更に苦笑。

「うん、まあ、そういうこと」

一斉にキャーッと歓声が上がる。ほとんど悲鳴だ。耳が痛い。

「じゃ、じゃあな。ホントあんがとな」

耐えられなくて、冬香は急いで京介のところへ戻った。
ぺたんと彼のそばに座り込み、はあ〜と溜め息をつく。

「黄色い声ってキッツイなあ、もお……」

ふと見ると、京介が正門のほうに顔を向けている。
その視線の数十メートル先に、ふたりの学生が立っていた。例の女たちである。

冬香は背筋が寒くなった。女のせいではない。京介のせいだ。
凶悪、狂暴、冷酷、残忍。それらをすべて混ぜ合わせたような―――いや、それでもまだ言葉が足りないような、
とにかく恐ろしい光を宿した瞳で、ふたりを見据えている。瞬きひとつしないで凝視している。

おかげで、女たちは動けない。
血の気の失った顔をして、全身をがたがたと震わせ、ただ立ち尽くすだけだ。
恐怖におののいている。

たまらず冬香は、京介の顔に抱きつき、美顔を己れの胸の中に包み込んだ。

「やめろっ。なんて目ェしてやがるっ。アイツら殺す気かっ」

「なにを言ってる」

「そういう目してんだよ、おめえっ。人殺せるみてえなっ。本気で怖ェぞっ」

「……悪かった」

恐る恐る腕をほどき、冬香は京介の顔を覗き込んだ。
その双眸には、先ほどのような恐ろしい光はない。いつもの黒曜石に戻っている。

ほっとした。あんなのは見たくない。あんなのは京介じゃない。

「なに? あのブスどもが、どうかしたのか?」

「いや、別に」

ただ、冬香を睨んでいた。
だから絶好の機会だと思い、脅しをかけたのだ。
また冬香に手を出したら許さない―――そういう意味を込めた。殺意といってもいい。
それくらいやっても、やりすぎではないだろう。念には念を、だ。

横目で見ると、女たちはへたり込んでしまっている。
ふたり揃ってボロボロと涙を流し、声も出さずに泣いている。
脅しは成功したらしい。

「……なあ、そんなに怒んなくていいぞ? オレぁもう平気だからさ。
もう忘れっから。だから、おめえも気にすんなよ。シカトしようぜ。な?」

なだめるように冬香に言われ、京介は頷いた。

「―――あ?」

ふと気付くと、なんだか騒々しい。噴水のほうだ。
ファン・クラブの学生たちが嬉しそうに騒いでいる。

「なに? アイツら、なに喜んでんの?」

「おまえが俺に抱きついたからだろう」

「え……んなモン見て楽しいわけ? なんで?」

「理想のカップルとやらのスキンシップだからじゃないのか」

「へー……」

試しに冬香は、再び京介の頭に抱きついてみた。

途端に歓声が上がる。ファン・クラブ全員、キャーキャーと大喜びだ。

「うっわ、ホントだ。よくわかんねえけど、すげえや」

でも……と思い、腕をほどいて、美顔を見下ろす。

「なあ、オレって、おめえにベタベタしてるよな?」

「なんだ、いきなり」

「だから、いつの間にか兄ちゃんたちに甘えんのと同じ感覚で甘えちまってるなあと思って。
やっぱ、ヤダろ?」

「別に。いやなら、もうとっくにやめろと言ってる」

「あー……。でも、ふたりっきりのときはともかく、人前じゃ気ィつけたほうがいいか?
膝枕で寝っ転がったり、くっついたりしねえようにさ」

「必要ない。おまえのやりたいようにやればいい」

「けど、そんじゃ益々誤解されちまうんじゃねえの?」

「構わない。今更だ」

確かに今更か……と冬香は思う。

「―――そろそろ行こう」

「あ、うん。時間だな。えっと、次は? どこの教室?」

「4―Bだ」

ふたりが立ち上がると、一陣の強風が吹いた。
少しばかり湿気を帯びたような風だった。