CAMPUSU〈3〉
海神は厳しい表情で電話を切った。移動中の車内の後部座席だった。
その顔をフロント・ミラー越しに横目で見て、運転席の槇村が問う。
「京介さんですか?」
「ああ、冬香くんから聞いたことを知らせてくれたよ。
女子ふたりが金で4人の男を雇い、冬香くんを輪姦させ、
その場面をビデオに撮ってネットで公開するつもりだったらしい」
「! では、倒れていたという6人が……」
「そう。まったく、恐ろしいことを考えるものだ」
冬香がプレハブ小屋に連れ込まれたことも、そこへ京介が向かったことも、海神は知っていた。
ファン・クラブの学生がメールで教えてくれたからだ。
だから仕事の合い間を縫って京介に電話を掛けたのだが、
そのとき彼は冬香をタクシーでマンションに連れ帰ったばかりで、まだ詳細がわからないため、
あとで本人に詳しい話を聞いてから連絡するという返事だった。
とりあえず海神は、部下に命じ、プレハブ小屋の後始末をさせた。
京介が言った通り、学生6人が倒れていたので、念のため病院へ搬送。
全員、怪我などなく、間もなく意識が戻ったという報告を受けている。
槇村が尋ねた。
「冬香さんが男性だと知っていて、ですか……?」
「いいや。女の子だと思っている者が、まだいるようだね」
「なぜ彼等は、そんなことを……?」
「先月、ふたりの女子が学食で冬香くんと言い合いになり、
そのあと周りの学生たちから非難を浴びせられた、という一件があっただろう?」
「はい、よく憶えています」
何人もの学生が理事長室で嬉しそうに話していたことだ。
元々ふたりは礼儀や常識を欠いた言動が多く、周囲から反感を買っていたらしい。
「では、その仕返しのために、ですか。―――どういう神経してるんだ……」
槇村が苦々しく呟いた。
彼が他人を咎める発言をするのは非常に珍しい。
「あの、それで冬香さんは……?」
「顔を蹴られたせいで、頬に小さな裂傷がふたつ。
あと、なにを口にしても嘔吐してしまっていたが、ようやく落ち着いて先ほど寝付いたそうだ」
「そうですか……。お見舞いに行かれますか?」
「いいや、とりあえず京介くんに任せよう。―――今夜の予定は変更可能か?」
「ええ、キャンセルできます。支障はありません」
「では、病院へ行ってくれ。直接6人から話を聞く」
「はい」
夜が迫りつつある街中を、槇村の運転する車は走り抜けて行った。
* * * * * *
ふと冬香が目を覚ましたのは、真夜中のこと。
隣には裸の広い背中がある。そして枕元では、ちゃぺが丸くなっている。
普段となんら変わらない光景だ。
「具合はどうだ」
京介が肩越しに振り返って訊いた。
「あー……ハラ減った、かな」
漆黒の瞳がゆるむ。
「ちょっと待ってろ」
そう言い残して起き上がり、京介は自室から出て行った。
冬香も身体を起こしたが、なんだか力が入らない。
エネルギーが足りないような感じがする。まともに食べていないからかもしれない。
やがて京介が持って来たのは、粥が乗ったトレイだった。
「え……なに? おめえが作ったのか、それ?」
「まさか。レトルトだ」
「そっか。わざわざ買っといてくれたんだな。あんがと」
「起きられるのなら向こうで食べるか」
「うん、そうする」
ふたりはリビングへ移動し、並んでソファーに座った。
「いただきま」
はふはふしながら、パクリと頬張る。熱さに苦戦するものの、なんとか食す。
真っ青だった顔色は、ずいぶん良くなっている。
そんな冬香を眺め、京介は心の中で安堵した。
「ごっそさん。……うーん、全然足んねえや。ちゃんとしたモン喰いてえ」
「やめたほうがいい。まだ胃が弱ってるはずだ」
「そっかあ? あんときに比べりゃ、大したことねえと思うんだけどなあ」
「あのとき?」
「うん。同じようなことあったんだよ、少年院で。
何人かに無理やり押さえつけられて、口に突っ込まれたんだ、ヤローのモン」
「―――」
「んで、気持ち悪くて思いっきり咬みついたら、口ん中に血の味が広がって、もっと気持ち悪くなっちまってな。
そのあとオレ隔離されたから、それ1回きりだったけど、ずーっと気持ち悪ィまんまでさ。
退院するまで、まともにメシ喰えなかったよ」
(……女の代わりにさせられそうになった、というわけか)
その容姿が災いしたのだろう。気の毒に、と思う。
次いで京介は、冷蔵庫から、プリンとヨーグルト、ババロア、フルーツ・ゼリー、ストロベリームースを持って来た。
「一応、買っておいた。とりあえず、これで我慢しろ」
「うわ、あんがと。いただきま」
「もう少し様子を見て大丈夫そうなら、なにか腹に溜まるものを買ってくる」
「や、いいよ。自分で行くよ」
「だめだ。この近くでも大学でも、もうひとりになるな。
ああいうことはそうそう起きないだろうが、念のためだ。用心に越したことはない」
すぐに冬香はぶんぶんと首を横に振った。
「ダメだよ、それこそダメだ。オレ、おめえから離れたほうがいいんだから。
でなきゃ、誰もおめえに近付けねえもん」
かすかに京介が目を細める。
「……どういうことだ」
「えっと……だから、前に学食で、ブスどもに言われただろ、そういうこと。
あんときから、ちょっと気になってたんだ。一理あるかもしんねえって。
んで、この前、実家から帰って来たときコンビニ寄ったんだけど、店の外で女4人に呼び止められてさ……」
彼女たちは緊張した面持ちで海神大の1年生だと名乗り、
そして「あなたは本当に男の子なんですか? 冬野さんの恋人なんですか?」と訊いてきた。
少々面喰らいながらも「男だよ。んでもって、きょうすけとはンな関係じゃねえよ」と正直に答えると、
「だったら、あたしたちにチャンスをください。
あなたが四六時中一緒にいるから冬野さんに声もかけられないっていう女の子、たくさんいるんです。
それに、俺たちは離れられないんだって学食で堂々と宣言してましたけど、
ああいう紛らわしい発言もやめてもらえませんか。あれを聞いて泣いた子は数え切れないんです」と言った。
「オレのことなんか気にしねえで、きょおすけに声かけりゃあいいじゃん」と反論すると、
「あなたの隣に行ける勇気と自信のある子なんて、そうそういません。どうしたって見劣りしますから。
わかってください」と告げ、最後に「突然すみません。あなたがひとりでいるのを偶然見掛けて、
お願いする絶好の機会だと思ったものですから。失礼しました」と頭を下げ、去って行った。
ファン・クラブのミーハーな連中とも、学食で会ったブスふたりとも、まるで違う。
ひたすら真面目で、真剣だった。
この4人は本気で京介のことが好きなのだと痛感した。
「だからオレ、おめえから離れたほうがいいって思ったんだよ。
そしたら女がいっぱい近付いてって、おめえにカノジョできるかもしんねえじゃん。
おめえは女を好きになったことねえっつったけど、先のこたぁわかんねえだろ?
好きになる女が出て来るかもしんねえだろ?
オレよか、ホレた女がそばにいるほうが全然いいじゃねえか。
そのほうが、やり直す励みになるっつうか、おめえの支えになるっつうか……」
京介は少しばかり目を見張っていた。
冬香の自立宣言に、まさかそのような理由があったとは思いもしなかった。
(なんて短絡的な……)
しかし、彼なりに懸命に考えたのだろう。やはり健気で、いじらしい。
「気持ちはありがたいが、却下だ。俺は彼女なんてほしくないし、女に近寄って来られても面倒なだけだ」
「でも、でもさ、おめえ、オレと一緒にいるとロクな目に遭わねえじゃん。
この前、変なヤローに刺されて怪我しちまったしさ」
「それも、その女たちに言われたのか」
一瞬だけ黙り込み、そして冬香は小さく頷いた。
余計なことを吹き込んでくれたものだと、京介は苦々しく思う。
「けど、その通りだろ。きょうだって、アイツらブッ飛ばさなきゃなんなかったし、
ゲーゲー吐くオレの世話までしなきゃなんなかったし。ロクな目に遭ってねえじゃねえか、ホントに」
「おまえが刺されるより俺が刺されたほうがずっといい」
「―――」
「おまえが無事でなによりだったと心から思ってる。きょうも間に合って本当に良かった。
苦しそうに吐いてたときは俺が代わりたかった」
「………」
冬香は泣き笑いのような表情になった。
「なんで……? おっちゃんに頼まれたからって、なんでそこまで……?」
「さあ。自分でもよくわからないが、たぶん今の生活が気に入ってるんだろう」
「あー……」
「おまえこそ、なぜそこまで俺のことを考えてくれるんだ」
「えっと、おめえの笑った顔が見てえから」
瞬間、京介は戸惑った。そんな答えが返ってくるとは予想外だった。
「それに、やっぱオレも、今の生活が気に入ってんだよな。だから、つまんなかったよ、きょう。
おめえが見えるとこにいてくれたけど、でも、オレひとりみてえなもんだったから……」
「なら、もう2度と離れるな。俺のそばにいろ」
「……また女に恨まれちまうな」
「知らない女に恨まれようが憎まれようが、別に痛くも痒くもないだろう」
「そりゃそうだけど。……また危ねえこととか起こるかもしんねえぞ?」
「構わない。むしろ歓迎だ。退屈しなくて済む」
つい苦笑いしてしまった冬香だ。
そして、こくんと頷く。
「うん、わかった。……ごめんな、きょう1日振り回しちまって」
「いや、気にするな」
にゃあと鳴いて、ちゃぺがやって来た。
軽々とソファーに上がり、テーブルの上のデザートに顔を寄せ、ふんふんと匂いを嗅ぐ。
「あ、コラ、ダメだ。おめえの喰いモンじゃねえんだから」
プリンを食べ始めた冬香をソファーに残し、京介はベランダに出た。
タバコを咥えて火をつけ、紫煙を吐き出しつつ、昼間のことを思い返す。
冬香に避けられているかもしれないと考えたとき、正直、ショックを受けた。
その衝撃は、彼が拉致されたと知らされるまで、くすぶり続けていた。
我ながら驚きだが、それが事実。認めるしかない。
(……本当に、ペースを狂わされてばかりいる……)