AGITATION〈6〉




アマチュアのミュージシャンとバンドによるライブ・イベントは、
大学の敷地内に建つ多目的ホールのひとつで行なわれていた。
収納人数1000人余りの小ホールだ。

京介と冬香が泉水の先導で会場に着いて中へ入ると、ちょうどステージ上のバンドが演奏を終えたところだったので、
今のうちにと急いで前のほうへ行き、最前列の中央に並んで座った。
現在のところ客席の7割ほどが埋まっている。

冬香は左隣の泉水に顔を向けた。

「ねーちゃん、この席でいいのか? 近過ぎねえ?」

「いいのよ。間近でじっくり見て、冷やかすためのネタ探しするんだから」

「うっわ、イジワル〜」

「うふふ。あの子を構うの、と〜っても楽しいんだもの」

まるで母ちゃんみてえだなあ、と思う冬香だ。
母も、しょっちゅう人を構って遊んでいた。
初めて泉水に会ったときから母にそっくりだと思っていたが、そういうところまで酷似しているらしい。

「んで、ソイツの出番は? いつ?」

「2番目だって言ってたから、たぶん次じゃないかしら?」

ふうんと頷き、冬香は右隣に視線を移した。

「ごめんな、きょおすけ。また付き合わせちまって」

「いや」

「退屈だったら居眠りして構わねえぞ? 終わったら起こすからさ」

などと言ったくせに、ステージに次のバンドの4人組が現われ、ギター2本とベースとドラムでライブを始めて程なく、
冬香自身が眠くなってしまった。

正直、つまらない。どれも大した曲ではないし、つたない演奏だし、なによりボーカルがないのだ。
インストルメンタルは昔からあまり好きではなかった。一臣に言わせると「フウカが楽器やらないからだよ。
楽器やってる人間にとっては、インストも聴いてて面白いよ?」だそうだが。
ただ、リード・ギターだけは、ほんの少しだけ心地いい。
一臣の出していた音に似ているからかもしれない。弾き方も彼に似ているような気がする。

やがて睡魔に負け、完全に寝入ってしまった冬香だったが、

「どうもありがとうございます」

そんな声が聞こえ、ぼんやりと目を覚ました。

ステージ上でギタリストの片方が、スタンドに備え付けられたマイクを使って喋っている。
泉水のコンビニでアルバイトをしている青年だ。

「今までのは全部、俺たちのオリジナル曲です。自分で作ったほうが楽しいから、コピーとかカバーは滅多にしません」

あー、わかるわかる、ホントそうだよなあ……と冬香は思った。

「でも、最後の曲だけ違います。すごく気に入ってるんで、絶対ライブでやりたいって思ってました。
『ファイン・シャイン』という曲です。聴いてください」

そしてドラマーがスティックでカウントを取り、前奏が始まる。
ミディアム・テンポの小気味いいロック・ナンバーだ。

すぐに京介は気付いた。冬香が全身を硬直させて双眸を見開いたことに。
だから、どうしたのだと耳元で問おうとしたのだが、それより一瞬早く冬香が弾かれたように起立し、
そのまま走って行ってステージに駆け上がり、勢い良くマイク・スタンドをつかんだ。
ちょうど前奏が終わってボーカル・パートに入ったところだった。

バンドの4人は驚いて手を止めようとしたものの、
冬香の歌声を耳にした途端、更に驚愕すると同時に揃って目を輝かせ、各々の楽器を鳴らし続けた。

冬香の参加で、ステージの雰囲気が一変する。
ひどく地味な印象だったライブが、瞬時にして鮮やかに色付いたのだ。

圧巻のひとことに尽きるボーカルだった。
マイクを通さなくても会場の隅々まで行き届くのではないかと思わせるほどの声量と、
その可愛らしい風貌に似合わないハスキーボイスで、堂々と歌う。
音程がはずれることもリズムが狂うことも、まるでない。
4人の演奏に支えられるのではなく、逆に彼らをリードしている。
曲のことを熟知した唱法だ。

客席は一気に沸いた。
ファン・クラブの女子学生たちがいたらしく、冬香の名を呼ぶ黄色い声が随所から飛んで止まない。
彼のことを知らない客も、いつしか頭や肩などを揺らしてリズムをとりながら聴き入った。

サビを3回繰り返し、ボーカル・パートが終了。
最後まで完璧に歌いきった冬香は、いきなり夢から覚めたように何度も瞬きして、
きょろきょろと周囲を見回した。状況が理解できないような様子だ。

次いで激しく狼狽しながらも、まだ後奏を続けているバンドの4人に、

「ご、ごめん……!」

と謝って慌ててステージから駆け下り、長身を目指して走って行く。

京介は即座に立ち上がり、飛びついてきた冬香をしっかりと抱き留めた。

そのとき曲が終わって、割れんばかりの拍手と歓声が場内に響き渡り、アンコールを求める無数の声が飛び交う。
そんな中で素早く動いたのは、泉水だ。

「きょーちゃん、ひとまず出ましょ。あたしについて来て」

そう告げるやいなや歩き出し、

「はい、どいてどいてっ!! 邪魔したら張っ倒すわよっ!?
ほら、そこ、通路ふさがないっ!! 痛い目見たいのっ!? さっさとどきなさいっ!!」

と凄まじい剣幕で怒鳴り、半ば興奮して駆け寄って来る女子学生たちを強引に追い払う。

京介は冬香を首に抱きつかせたまま抱え上げ、彼女のあとに続いた。

「―――どうする、きょーちゃん?」

会場を出て尚も歩きながら、泉水が尋ねた。

「あたし、自分の車で来てるのよ。その中でふーちゃん休ませて、落ち着くのを待つ?
それとも、まっすぐマンションに帰る?」

「帰ります」

「じゃあ送ってくわ」

「いえ、タクシーを拾いますから」

「いいじゃない、それくらいのことさせてよ。ね?」

「……お言葉に甘えさせていただきます」

「そうこなくちゃ。遠慮されたら寂しいじゃないの」

小ホールから歩いて5分ほどの場所にある大学専用の駐車場に着くと、
泉水は赤いワゴン車に歩み寄って後部座席のドアを開け、どうぞと乗車を促した。

京介は会釈し、冬香を抱えたまま乗り込んで、膝の上で痩身を抱き直す。
その際に窺った彼の表情は、呆然としていて心ここにあらずという感じだった。




車に揺られているうちに、徐々に平常心を取り戻したらしい。
コンビニの駐車場に到着したときには、シート越しにまっすぐ泉水を見て口を開いた冬香である。

「ごめんな、ねーちゃん、迷惑かけて……」

弱々しい声だが、口調は比較的しっかりしている。

「ううん、いいの。気にしないで」

「ねーちゃんとこのバイトのヤツにも、悪ィことしちまった……」

「そんなことないわよ。あの子もほかの子たちも、すごく楽しそうに演奏してたもの。
ふーちゃんにバンドに入ってくれって頼むんじゃないかしら。ボーカルを探してるって前から言ってたから」

冬香は首を左右に振った。

「そりゃムリ……できねえ……」

「あら、どうして? ちゃんと歌ってたじゃない。突然だったから驚いちゃったけど、とっても素敵だったわよ?
いい声してたし、カッコ良かったわ」

「……ありゃ、特別。オレが友達と一緒に作った曲だから……」

「え、そうなの?」

「うん……」

間違いなく“KA‐FU”の楽曲だ。CDに収録したし、ライブでもやった。

「だから、最初、すげえビックリして……あとは、サッパリわかんねえ……。
気ィついたらステージに立ってて、もう歌い終わってた……んなつもりなんか全然なかったのに……」

「そう、夢中だったのね」

と泉水が微笑した次の瞬間、急に彼女の表情が歪んだ。まるで呼吸が詰まったかのようだった。
しかし、すぐ元に戻り、京介を見据える。

「申し訳ないんだけど、ちょっと席をはずしてくれないかしら」

「……冬香とふたりきりにしろ、ということですか」

「ええ。お願い」

なんだか変だと思ったものの、彼女なら冬香に危害を加えたりする心配はない。
ゆえに京介は、冬香を膝の上からシートへ移し、車を降りて閉扉した。
近くでタバコを吸いながら待つことにする。

泉水は運転席から外へ出て、後部座席に乗り込み、冬香の隣に座った。

「えっと、なに……? きょおすけに聞かれちゃマズイ話……?」

冬香が首をかしげて問うと、泉水がにっこり笑う。慈愛に満ちた笑みだ。

それは、冬香のよく知るものだった。
大好きな女性が昔いつも見せてくれた笑顔に似ている。いや、そのものだといっていい。
だから無性に懐かしくて、ひどく切なくて、つい呟いてしまう。

「母ちゃん……」

途端に悔いた。申し訳ないと思った。どんなに酷似していても、相手は未婚の若い女性だ。
そんなふうに呼ばれたら、気を悪くしてしまうだろう。
それゆえ謝ろうとしたのだが、先に泉水が言った。

「よくわかったわねえ。すごいわ、冬香」

「えっ……?」

「うん、偉い。さすが、あたしの息子ね」

「!!」

まさか、まさかそんな―――本当に?

「か、母ちゃんっ……!?」

泉水が笑みを深める。

「冬馬さんとカズミもいるわよ。3人一緒に、ずっとあんたを見てたわ。
冬馬さんとあたしは時々ハルとナツとアキのところに行ってたけどね」

「っ……!」

冬香は泉水に抱きついた。母の胸に顔をこすりつけた。

「母ちゃんっ……! 母ちゃんっ……! 母ちゃ……!」

ぼろぼろと涙がこぼれる。嗚咽もこぼれて止まらない。

母も息子をきつく抱擁し、堪えきれずにむせび泣いた。

「冬香―――冬香………冬香………冬香……」

何度も繰り返す。我が子の名を声に出して呼べるのが嬉しくてたまらない。

予期せぬ別れだった。また会えると信じて疑わなかったのに、突然引き裂かれてしまった。
再び触れて言葉を交わすことができるなんて思いもしなかった。
だから余計、今の喜びは大きい。とてつもなく大きい。

ひとしきり泣いたあと、親子は互いの身体をゆっくり離し、じっと見つめ合う。
そして母は柔らかく笑い、片手で自身の涙を拭きつつ、もう一方の手で息子の涙を拭った。

「うん、細かい動作もスムーズにできるわ。前に少し試させてもらったときと同じ、ちょっと違和感があるだけね。
良かった。これで、思う存分あんたに触れる。相変わらずスベスベのホッペだわ。いい手触り」

「えっと、どうなってんのかな……?
つまり、ねーちゃんの身体ん中に、母ちゃんが入ってるっつうこと……?」

「そうよ。沢井さんって、引き寄せやすい上に受け入れやすい体質みたいね。
引っ張られるようにして簡単に入れたもの。こんな人、初めて。
でも、冬馬さんとカズミには無理だったから、相性みたいなものがあるのかもしれないわね」

「ふうん……」

確かに、母と泉水なら相性は抜群に良さそうだ。

「けど、んなことができんのなら、もっと早くしてくれりゃ良かったのに……」

「あんたは沢井さんとコンビニでしか会わないし、仕事中にこんなことしたら彼女に迷惑が掛かっちゃうじゃない。
だから待ってたのよ、あんたと彼女がプライベートでふたりきりになるのを。
今回は冬野くんが一緒だけど、この機会を逃がしたら次はないかもしれないと思って、彼に席をはずしてもらったの」

次いで母は息子を抱き寄せ、そっと優しく髪を撫でた。

「ごめんね、冬香。冬馬さんとあたし、ふたりいっぺんに急にいなくなっちゃって。
そのせいで、あんたにいろいろ大変な思いをさせたわね」

「ううん……オレよか、じいちゃんと兄ちゃんたちとタカじいのほうが、きっともっと大変だったと思う……」

「あんただって同じよ。見てて本当に辛かったわ。
あんなに泣いて、あんなに荒れて、あんなに苦しんで、まるで死んだようになって。
できることなら、あたしが代わりたかった。
―――ああ、はいはい。感傷に浸ってる時間はないわね。わかってるわよ、ちゃんと伝えるから」

「え、なに……?」

「冬馬さんから伝言があるの。
『もう後ろを振り返るな。そんな必要はない。前だけを見据えて、自分の決めた道をまっすぐ進んで行きなさい』って」

「―――父ちゃん……」

脳裏に父の姿が浮かぶ。
とても温厚で、絶えず微笑を浮かべていて、余程のことがない限り決して怒らない人だった。
だから叱られると心底怖く、生きた心地がしなかったくらいだ。
誰よりも母を愛し、なによりも家族を大切にしていた。

「次はカズミね。『フウカの責任じゃないんだから自分を責めちゃだめだ』って」

冬香の顔が強張った。

「冬馬さんとあたしも同感よ。あんたに責任はないわ」

「あるよっ……! 全部、全部オレの―――」

「ないのよ。悪いのはカズミに乱暴した男なんだから。全部あいつの責任なの。
あんたは親を亡くした悲しみを紛らわそうとしただけ。ただ、それだけだわ」

「―――……」

きゅうっと唇を咬み締めた冬香だ。

続けて母が、更に一臣の言葉を息子に伝える。

『俺、フウカと出会えて良かったよ。いろんなこと話したり、一緒に音楽聴いたり、
曲作ったりライブやったりして、ものすごく楽しかった。幸せだった。充実した人生だった。
なんの悔いもないよ。フウカのおかげだ。ありがとう。感謝してる。
……って、いつか必ずフウカに言いたいと思ってたんだよね。やっと言えた。嬉しいなあ』

「オ、オレも、おめえに会えて良かったっ。すっげえ楽しくて、すっげえ幸せで、もう最高だったっ。
おめえがいなきゃ絶対つまんなかったよっ。めちゃくちゃ味気なかったよっ。
あんがと、カズミッ。ホントあんがとっ」

『じゃあ、そういう思い出だけ取っといて、ほかのはみんな捨てちゃおうよ。
楽しい思い出や嬉しい思い出がいっぱいあるのに、いやな思い出ばっかり引きずることないじゃないか。
そんなの、もったいないだろ? だから、楽しくて嬉しい思い出だけ大事に取っとこう? ね、フウカ』

「……カズミィ……」

冬香の瞳から、ぽろぽろと新たな涙がこぼれていた。