AGITATION〈5〉
ゆっくりと秘孔を押し広げ、ゆっくりと京介が入ってきた。
「っ……!」
たまらず息を詰め、つい力んでしまう。
「痛いか」
耳元で問われたので、首を横に振った。
「へ、平気……」
本当は痛い。ものすごく痛い。でも、それを言いたくない。我慢したい。
だが、更に進入されると耐えられなくて、ぽろりと涙がこぼれ落ちる。
途端に京介が動きを止め、静かに告げた。
「やめよう。やっぱり無理だ」
「ム、ムリじゃねえよっ……平気だって、言ってんじゃんっ……」
「どこがだ、こんなに泣いて」
「泣いてなんか、ねえっ……」
「だったら、これはなんだ」
と、とめどなく流れる涙を指先で拭われた。
「ハ、ハナミズ……」
「おまえは目から鼻水が出るのか」
「そ、だよっ……。いいから、やめんなっ……そのまんま、来いっ……」
「……本当にいいのか」
「って、言ってんだろっ……」
「……わかった」
「あっ……!」
ものすごい圧迫感を覚える。下腹部が一杯になる。
苦しい。辛い。まともに息ができない。
けれど、それに勝るくらいの喜びがある。
京介とひとつになれたという感激のあまり、一気に鳥肌が立つ。歓喜に身体も震え出す。
すると、視界の隅に人影が入ってきた。
ふたりいる。どちらも見知った顔だ。
うつ伏せになった片方の背中に、もう一方が覆いかぶさっている。犯している。
(カ、カズミッ!)
名前を呼んだが、声が出ない。
(だめだっ!! やめろっ!! カズミから離れろっ!! んな真似すんなっ!!)
両手を伸ばす。届かないけれど、必死に伸ばす。
(カズミッ!! カズミッ!! カズミ―――――ッ!!)
暗闇が掻き消えるように明るくなった。
見慣れた天井が広がっている。
そして、ざらざらの舌に頬を舐められていた。ちゃぺだ。
「にゃー」
「……あ……うん、おはよ……」
そう応えたものの、現状を把握できない。
夢を見たのだと理解するまで、少しばかり時間が掛かった。
愛猫の額にキスをしてから再び目を閉じ、冬香は大きく息を吐いた。
(ったくもう……なんつう夢だよ……)
まるで天国と地獄をいっぺんに味わったような気分だ。
浮かれるな、己れの立場をわきまえろ、という戒めなのかもしれない。
そうだ。現に浮かれている。京介の優しさに甘え、いい気になっている。
それに、あの晩から約1ヶ月経つが、欲情したことは全然なく、
だから自力で処理できなくて彼に助けを求めたことも当然ないけれど、
下半身の事情まで配慮してくれていると思うと恥ずかしい反面、正直いって嬉しくもある。
カズミはオレを恨んでねえのかも……と考えたことがあった。
だが、たとえそうだとしても、自分の罪が消えてなくなるわけではない。
それとこれとは話が別だ。よくわかっている。
わかっていながら、京介のそばにいることを選んだ。離れないと決めた。
(ひでえヤツだよな、オレ……きっと、ろくな目に遭わねえや……)
いや、もう遭ったか。こっぴどい目に―――
「にゃあ……?」
ちゃぺが心配そうに鳴いた。どうしたの? と問うたようだ。
冬香は瞼を開け、うっすら笑った。
「なんでもねえよ、大丈夫……。おめえ、朝メシは? ちゃんと喰った?」
「にゃ」
よしよしと愛猫の頭を撫で、ベッドから出る。
居間へ行くと、部屋着姿の京介がキッチンにいて、コーヒーを淹れていた。
「ああ、起きたか」
「うん、おはよー」
いつものようにハグとキスを交わす。
「おはよう。……具合でも悪いか。顔色が良くない」
「え、そう? 別になんともねえけど? ただ、けっこう寝汗かいちまったからベタベタして気持ち悪ィや。
シャワー浴びてえな。まだ時間ある?」
「忘れたのか」
「は? なにを?」
「きょうから学祭だ」
「あ、そっか、きょうからだっけ。うん、ころっと忘れてたぜ」
しばらく前から、大学のあちらこちらで皆が学祭の準備をしていた。
確か、きのうの夕方くらいに前夜祭があったはずだ。
「行くなら付き合うが、どうする」
「うーん……じゃあ、ちょっと行ってみっか。どんなもんか見てみてえしさ」
「なら、まずシャワーを浴びてこい。時間は気にしなくていい」
「んじゃ、ゆっくり浴びてくるわ」
浴室へ向かう冬香を見送った京介は、次いでカウンターの椅子に座り、
コーヒーをひとくち啜ってからタバコに火をつけた。
一種の拷問だ、と思う。愛しくてたまらない相手が常時そばにいて、
おまえが好きだと告げれば即座に手に入れられるのに、それを実行に移せないのだから。
冬香に対する想いは日増しに膨らんでいる。
とどまるところ知らないという感じで、自分でも怖いほどだ。
このままだと一体どうなってしまうのか。
「にゃあ……?」
ちゃぺが足元で心配そうに鳴いたので、京介は片手で拾い上げ、膝の上に乗せた。
そして、その背中を繰り返し撫でる。
「なんでもない。大丈夫だ」
途端に愛猫は何度か瞬きし、吐息混じりに小さく鳴いた。
ふたりして同じこと言ってるよー……と呟いたのかもしれない。
海神学院大学の学園祭は、10月の第2金曜日から日曜日まで3日間に渡って行なわれる。
公式の部のほかに大半の私設サークルや個人グループもこぞって参加するので、
露店やアトラクションなどは多種多様かつ無数に及び、また非常に多くの客が来場するため、
毎年異様に盛り上がるのが通常だ。
余談だが、その3日間に限り、私服のガードマン数十名が来客を装って警備に当たる。
むろん海神の要請によるもので、物々しい雰囲気にならないよう私服着用を求めたのも彼である。
快晴の空の下、派手に飾られた正門を通り抜けると、所狭しと校庭に露店が並んでいて、
冬香は思わず顔をほころばせた。
「うわー、なんか懐かしいなあ。ガキん頃、よく母ちゃんに連れられてカズミと一緒に祭りに行ったんだ。
それ思い出すよ。いっつも母ちゃんが一番はしゃいで大騒ぎでさ。カズミやオレよりもガキみてえだったっけなあ」
と楽しそうに話す彼を見て、京介は目元をゆるめた。
「しっかし、けっこう人がいるな。ちょっとビックリだぜ」
「ああ。平日の昼間にこれなら、きっと土日は大変な人混みになるだろう」
「だよなあ。あしたとあさっては来ねえようにしよっと」
間もなく冬香が急に立ち止まり、数メートル離れた場所に向かってビシッと指差した。
そこには若い女性が数人いて、それぞれが携帯電話を掲げていた。
「なにやってんだ、てめえらっ!! 勝手に撮ってんじゃねえっ!!」
怒気を含んだ一喝が効いたらしく、女性たちはそそくさと立ち去る。
しかし、1度だけでは済まなかった。
少し歩くとまた無遠慮に携帯電話やカメラを向ける者が現われ、それがまるで尽きないのだ。
そのたびに怒鳴った冬香は、すっかり気が滅入ってしまう。
「どいつもこいつも、ったくもぉ……」
「放っておけ。いちいち相手にするな」
「んなのムリだよぉ、アッタマ来て黙ってらんねえんだからさぁ……」
自分ひとりだったら別にどうでもいい。
だが、京介の写真を撮られるのは絶対に許せない。
できることなら彼を誰の目にも晒したくないくらいだ。
もう帰りてえや……と思ったとき、近くの露店から女声が飛んできた。
「あ、早乙女さん、冬野さん」
「え?」
見ると、店内に女子学生が立っていた。ファン・クラブの3人組だ。
ピンクのエプロンを着けた彼女たちは、声を揃えて挨拶した。
「こんにちは」
「ちす。へえ、3人で店やってんのか」
店頭には《WINTERSクッキー》や《WINTERSチョコ》、《WINTERSマドレーヌ》などと
名付けられた菓子が並んでいる。それぞれ小分けにされ、どれもリボンのついた可愛いラッピングが施されていた。
「あれ? もしかしてオレか、これ? と、きょおすけ?」
クッキーの袋を覗き込んで尋ねた冬香に、3人が次々と説明する。
「はい、おふたりのお顔を作ったんです。
パウンドケーキとかドーナツにはウインターズの文字を入れました」
「理事長のアドバイスなんですよ。学祭でお店やろうって決めて、なににするか悩んでたら、
ウインターズをあしらったお菓子はどうだとおっしゃって」
「きょうも開店早々お見えになって、お客さま第1号になってくださいました」
「ふうん。これ全部、おめえらの手作りなんだろ? すげえなあ。
あー、そういや料理が趣味って言ってたっけ。いい嫁さんになるぞ、きっと」
3人は照れたように破顔した。
次いで、用意しておいたらしい大きめの紙袋を冬香に差し出す。
「うちの商品、全種類が入ってます。どうぞ召し上がってください」
「あ、うん」
そして代金を渡そうとした冬香だが、彼女たちが頑として受け取らなかったので、結局は引き下がるしかなかった。
3人組に礼を告げ、ふたりは露店から離れた。
「さあて、どうする? ほかんとこ行ってみる?」
「無理するな。帰りたいと正直に言え」
「ありゃ、バレてたか―――や、ちょっと待った」
「わかってる。海神さんが大学にいるのなら会ってから帰ろう」
「そう、それ」
海神は理事長室にいて、革張りのアーム・チェアに腰掛けていた。
そしてソファーには先客の姿があり、コーヒーを啜っている。
「あら。久し振りね、きょーちゃんにふーちゃん。元気だった?」
先客が笑顔を見せ、軽く手を振った。泉水だ。
「え、ねーちゃん? なんでここに?」
「学祭だから遊びに来たんだけど、その前に海神さんに挨拶をと思ったのよ」
「あー、そっか」
冬香は海神のところへ行って彼とハグして交互に頬を合わせてから、ソファーへ移動して泉水の正面に座った。
京介のほうは海神に一礼し、冬香の隣に腰を下ろす。
いつも通りだ。
海神もまた、いつものようにインターフォンで槇村にコーヒーをふたつ持ってくるよう頼み、
それから改めてふたりに視線を据えた。
「いつ大学に来たんだい? もうどこか見てきたのかな?」
「んっと、30分くらい前。校庭の店だけ、ぐるっと見て回ったよ」
「たった30分? その割りには、なんだか疲れたような顔をしているね」
「んもうグッタリだぜ。怒り疲れっつうか、怒鳴り疲れっつうか」
冬香が事の詳細を話すと、海神と泉水は顔を見合わせ、同時に苦笑した。
「それは仕方ないね。諦めて無視するのが賢明だと思うが?」
「そうよ、ふーちゃん。いちいち腹を立ててたら切りがないでしょ」
「そりゃわかってっけどさあ……」
京介を誰にも見せたくないのだとは言えず、冬香は深い溜め息をついた。
「……あ。なあ、ねーちゃん、甘ェモン好き?
ファン・クラブのヤツらから、いろんなお菓子もらったんだ。一緒に喰わねえ?」
「あら、いいの? じゃあ、いただこうかしら」
「うん、喰って。いっぱいあるから」
コーヒーを運んで来た槇村も誘い、ちょっとしたティーパーティになった。
しばらくのあいだ5人で談笑したあと、不意に泉水が腕時計を見やる。
「そろそろ時間だわ。おいとましなきゃ」
「え、もう? 遊びに来たんじゃなかったのか?」
「帰るわけじゃないの。うちのバイトの子に、ここの学生がいて―――あ、憶えてない?
いつだったか、ふーちゃんに、有線で流れてた曲のことを教えた男の子」
「え……ああ、うん、憶えてる。っつうか、思い出した」
“KA−FU”の楽曲をルイ湯浅に盗まれたと判明したときだ。
「あの子、友達とバンド組んでギター弾いてるんだけど、学祭でライブやるのよ。それを観に行こうと思って。
良かったら、ふーちゃんときょーちゃんもどう?
ほかにもバンドやソロの子が出るらしいわ。初日は全部で12組だったかしら?」
「へえ、ライブかあ。けど、チケットとか持ってなくて入れんの?」
「あたしが余分に持ってるわ。ノルマがあるっていうんで、協力するために多めに買ったから。
ふーちゃんたちが行くなら、もちろんあげるわよ?」
ちょっと観てみようかな、と冬香は思う。
行っていいか? と問うように隣に目を向けると、京介が無言で頷いた。