AGITATION〈4〉
京介は冬香の頭をつかんで引き離し、股間の彼の手を押さえつけた。
「こら、やめろ」
大きな瞳が、キッと美顔を睨む。
「止めんなっ。おめえをイカせんだからっ。絶対絶対イカせんだからっ」
「いいと言っただろうが」
「ヤダよっ。オレばっかなんて悪ィじゃんっ」
「俺はその気になってない。触ってわかるだろう。だから必要ないんだ」
彼の言う通り、確かに手の中のものは柔らかく、まるで熱を帯びていない。
「じゃあオレがその気にさせるっ。絶対させるっ。させてえっ。がんばるっ」
「……させたい、のか」
「そうだよっ、させてえんだよっ。
おめえが気持ち良くなったらオレだって嬉しいんだからっ。めちゃくちゃ嬉しいんだからっ」
「……わかった。好きにしろ」
「おうっ。おめえはじっとしてろよっ? なんもすんじゃねえぞっ?」
冬香は再び美顔に口づけ、もぞもぞと手を動かし始めた。
京介にとっては結構きつい状況だ。いくら不器用で、性行為として及第に至らなくても、
それを施しているのが愛しい相手なのだから、やはり相応に感じてしまう。
先ほど冬香と濃厚なキスをしたときも、危うく下半身が変化を起こすところだった。
しかし、快感に身を委ねれば恐らく自制できなくなり、そのまま暴走してしまう恐れがあるので、
なんとか堪えるしかない。
(…………あれ?………………あれえ?………う〜っ……)
どんなに懸命に舌をねぶって手淫を続けても、まったく無反応だ。
自身の下手さを痛感し、意気消沈しそうになってしまった冬香である。
だが、ふと別の方法を思いつき、猛烈に意欲を燃やすと、
キスをやめて京介の膝から下り、彼の脚のあいだに入ってしゃがみ込み、握っているものを外へ出そうとした。
その行動の意図を察し、京介が冬香の手首をつかむ。
「よせ。そんなことはしなくていい」
「するよ。ちゅーしても手でやっても全然その気になんねえんだから、
あとは口使うっきゃねえじゃん。そりゃあヘタクソだと思うけどさ」
「だめだ。もういいだろう。諦めろ」
「ヤダ。なんで? なんで口でしちゃダメなわけ?」
ほんの一瞬、漆黒の双眸が歪む。
「……あのときと同じ、だからだ」
「え」
「レイプしたときと同じことなんか、おまえにやらせたくない」
目を見開いた冬香は、次いで何度か瞬きし、首を横に振った。
「違う、違うよ。ありゃおめえじゃねえんだからさ。
それに、オレがしたくてするんだから、あんときとは別。まるっきり違うってば」
「―――……」
「だから、させてくんねえ? させてくれよ、頼むから」
「……どうしても、か」
「どうしても」
「……わかった。だが、俺が先だ」
京介は冬香の脇の下に手を差し込んで彼を持ち上げ、そのまま振り返って痩身をバスタブのふちに座らせ、
細い脚を割って入って跪き、小ぶりの陰茎を持ち上げて唇を寄せた。
実に素早い行動だった。己れを止められなかった。
予想もしていなかった展開に、冬香は驚き、焦る。
「な、なにやってんだ、おめっ! そりゃオレが―――あっ……!」
蜜口を舌先で撫でられ、総毛立つと同時に中心も起立した。
抵抗するどころではない。
「うぁっ……ぁんっ……は……ぁう……っ」
熱い舌が絡みつき、ねっとり舐め上げられると、立て続けに声が出てしまう―――勝手に出てしまう。
自分のものではないみたいな善がり声だ。
聞くに堪えなくて、冬香は両手で口を塞いだ。
しかし、指の隙間から次々とこぼれていく。唇を咬み締めたり歯を喰い縛ったりしても、ほとんど意味がない。
行為を中断した京介が冬香の手を引き剥がし、その口を指先でこじ開けた。
「こら、咬むな。唇が切れてしまうぞ」
冬香は首を左右に振る。そんなのムリだよ……と訴えるように。
「だったら、こっちにしろ。いくら咬んでもいい」
そう言いながら京介は、冬香の口内に指を2本、ねじ込んだ。
(で、できるわけねえだろ、んなことっ……)
と思ったものの、袋ごと双珠を食まれ、ひとつずつ交互に吸われたり転がされたりしているうちに、
いつしか我を忘れて散々指に咬みついてしまった。
激烈極まりない快感だ。頭の天辺から爪先まで陶酔に包まれ、蕩けてしまいそうになる。
手淫とは比較にならない。
締めつけた唇が摩擦を開始したときには、すでにもう気が遠くなっていた。
「……きょ、すけ……きょおすけ……きょおすけえ……っ」
喉を反らせ、弱々しく黒髪を掻き回し、名前を呼ぶ。
朦朧としながらも、大好きな男の名前を何度も呼ぶ。
やがて、目の前で火花が散った。絶頂の瞬間だ。
とっさに京介の背中にしがみつき、冬香は白い体液を放った。
息を止め、がくがくと全身を震わせつつ、思い切り己れを解放した。
余韻はまさに夢見心地だ。また長引きそうな予感がする。
だが、
「お、おめ、まさか、の、飲んっ……?」
「ああ」
「ドアホッ! 吐けっ! 全部吐けっ! 吐き出せ〜〜〜〜っ!」
京介の頭を両手でつかみ、ぐらぐらと揺らす。
その小さな手を、大きな手が制止した。
「問題ない。心配するな」
「するよっ。まず口ゆすげっ。うがいしろっ。それから、なんか飲めっ。口直しだっ。
コーヒーでいっかっ? すぐ淹れっからさっ」
次いで立ち上がろうとしたのだが、腰にチカラが入らなくて立てない。
結局、京介に抱きかかえられて浴室を出る羽目になった。
「おめえは? 次、おめえの番だぞ?」
「馬鹿を言うな。そんな場合か。休むのが先だ」
「じゃ、オレが動けるようになったら絶対やるからな。忘れんじゃねえぞ?」
「ああ、憶えておく」
私室に入って冬香をベッドに下ろした京介は、
痩身をくるんでいたバスタオルを取って下着とパジャマを着せ、濡れていた自身の部屋着も着替えた。
「なにかほしいものはあるか」
「あー、冷てえ飲みもん。ノド渇いちまった」
「わかった。待ってろ」
「その前に、ちゃんと口ゆすぐんだぞ? 口直しもな?」
「ああ」
京介の背中を見送ってから、冬香はコロンと横臥した。
ちゃぺが枕元に駆け上がってきたので、その頭を撫でてやる。
それにしても、腰が重い。だるい。
3回イクと、こんな影響が出るのか。知らなかった。
目を閉じて、腹の底から吐息した。
徐々に気持ちが静まっていくのがわかる。どうやら妙に興奮していたらしい。
(―――あ……? え……?)
待て。ちょっと待て。
自分は一体なにをした? 京介になにをした? 京介となにをした?
少しずつ思い返すに連れ、じわじわと羞恥が込み上げてくる。
(うわっ……! うわっ……! うわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!)
なんということだ。とんでもないことだ。信じられない。
(どどどどどどうしよっ!? どうしよおおおおおおおおおおおおおおお!?)
確かに彼に対して性的な欲求があることを自覚した。あれこれ想像もした。
けれど、ただ頭の中で考えるのと実際に行動するのとでは全然違う。羞恥の度合いが違う。桁外れに違う―――
スポーツ・ドリンク入りのミニ・ペットボトルを持って京介が個室に戻ったとき、
ベッドに横たわった冬香は真っ赤な顔で硬直してしまっていた。
だが、長身に気付くと、とっさに彼に背を向ける。顔を正視できない。
その傍らに、京介が腰掛けた。
「……今頃になって恥ずかしくなったか」
少し間を置いて、こくんと小さく冬香が頷く。
やっと普段の彼に戻ったと思い、京介は薄い息を吐いた。
最初に射精したあとあたりから冬香の様子がおかしいのは明白だった。
まるで照れることなく舌を入れるようなキスをするなんて、いつもの彼からは考えられない。その後の行動も然りだ。
まともな精神状態ではなかったのだろう。そういう状態にさせたのは、ほかならぬ自分だが。
「……オレ、変……すっげえ変……」
背中を向けたまま、冬香が消え入りそうな声で言った。
「だって、今までは、いっぺん出しゃあ満足したのに、もっとって思って3回も出しちまったし……
あと、あんな濃いちゅーしたことも、他人にチンコ触られたこともねえのに、初めてって気ィしなかったし……。
オレ、おかしくなったのかもしんねえ……きっと、どっか、おかしくなっちまったんだ……」
京介は腕を伸ばし、オレンジ色の髪を撫でた。
こうなったら、あの晩のことを白状するしかないか……と思いながら。
「大丈夫だ。どこもおかしくない。心配するな」
「……おかしいってば……」
「おかしくない。おまえが酒を飲んで酔ったとき、俺がキスして手でイカせた。
だから初めての気がしなかったのは正しいんだ」
「えっ……?」
冬香の背中が震える。
「……酔ったって……オレ産んだ女に会ったあと……?」
「ああ」
そして京介は、その夜の詳細を話した。
「あのときも2度出した。自慰より深い快感を得たから、もっと欲したんだろう。
決しておかしいことじゃない。むしろ当然だ」
「―――……!」
腰の痛みなど忘れ、突然がばっと起き上がった冬香は、
京介に飛び掛るようにして詰め寄り、彼の胸ぐらをつかんだ。今にも泣きそうな表情だった。
「なんで、なんで手でイカせるだけで終わったわけっ!? どうせなら最後までやりゃあ良かったじゃねえかっ!
そしたらゴーカンされたって平気だったかもしんねえのにっ! あんなにショック受けなくて済んだかもしんねえのにっ!
おめえが初めての相手ならハンパじゃなく嬉しかったのにっ!」
「―――」
「あ……っ」
思わず口を噤むが、すでに遅い。出した言葉は戻せない。
「や……ち、違うっ。そうじゃなくて、そういうことじゃなくって、だから、つまり、
えっと……えっと……ど、どうすんだよっ? オレ、自分でやっても全然イケなかったんだぞっ?
クセになっちまったのかもしんねえっ。おめえにやってもらわなきゃ出せねえのかもしんねえっ。
もうオナニーできねえじゃんっ。おめえのせいだっ。おめえが悪ィんだっ。責任取れっ」
我ながら、なにを口走っているのかと思う。ひどい誤魔化し方だ。
京介は冬香を包み込むように抱き締め、その背中を撫でた。
「落ち着け」
冬香は京介にしがみつき、その胸に顔をこすりつけた。
「ご、ごめん……なんか、も、めちゃくちゃ……」
「いや、俺が悪いのは事実だ。また欲情したら隠さず言え。すぐ楽にさせるから」
「えっ……?」
「それで責任を取ることになるのかわからないが、ほかの方法が思いつかない」
「や、い、いいよ、責任なんか取んなくたって……。
今のは、その、なんつうか、弾みで言ったようなもんで……だからナシ、今のナシ」
「また辛い思いをしても構わないのか」
「う……」
それは困る。ものすごく困る。
「……じゃ、じゃあ、もし自分でやってダメだったら、そんときは……」
「ああ、そのときは必ず言え。その前でもいい」
「……けど、おめえ……ホントは、ヤじゃねえの……?」
「全然。正直いって、俺も癖になってる」
「え……な、なにが?」
「おまえの声だ。おまえの善がり声を聞くと、たまらない気分になる」
「っ……!」
途端に頬を朱に染めて、冬香は広い胸にドスドスと何度か頭突きを見舞った。
そんな照れ隠しが可愛くて、京介はオレンジ色の髪にキスを落とした。
「……あの、さ」
京介の胸に額を密着させたまま、冬香が呟く。
「なんで、口でやったわけ……? オレがするっつったのに……」
「おまえに触れられる前に俺が触れたかった」
即答した直後、京介は自身に驚いた。本音を告げる気など更々なかったのだ。
だが、吐露してしまったものは仕方がない。言葉を続けることにする。
「だから、そうした」
「……そ、っか……」
よくわからない気持ちになった冬香である。
強いて表するなら、くすぐったい、というのが最も近いだろうか。
(でも、ホントいいのかなあ……? いくらなんでも、んなコトまで面倒見てもらうのって、
フツーじゃねえっつうか、ジンジョーじゃねえっつうか……)
いや、今更か。同じベッドで眠ったり、必要以上にベタベタくっついたり、挨拶のキスをしたりと、
元々普通でも尋常でもない接し方をしているのだ。
だが、また今夜と同じ事態になったとしても、きっと京介には言えない。
イカせてくれなんて、とても頼めない。やはりさすがに恥ずかし過ぎる。
どうか次は、なんとか自力で処理できるように……と祈るしかない。
枕元で正座していた愛猫が、いきなり鳴いた。遊ぼうよー、と甘えるように鳴いた。
もう待ちきれなくなったようだ。
同時に、冬香の腹部から音が上がっていた。かなり空腹だった。