AGITATION〈3〉
京介がリビングに入って明かりをつけると、ソファーの上で丸くなっていた愛猫が頭を上げ、くるりと振り返った。
どうやら眠っていたらしい。
「にゃー」
「ああ、ただいま」
「……にゃあ?」
「冬香ならシャワーだ。そのうち来る」
そして自室へ行った京介は、部屋着に着替えながら、おかしい……と思った。
むろん冬香のことだ。
タクシーに乗っていたときから妙に落ち着きがなかった上、
マンションのエレベーターから降りた途端「オレ、ちょっとシャワー浴びる」と言い出し、
玄関で靴を脱ぐやいなや浴室へ急行したのである。
いつもなら、まず空腹を訴え、なによりも先に食事を摂るのが常なのに。
(どうかしたんだろうか。俺の考え過ぎならいいんだが……)
冬香に対する己れの気持ちを認めて以降、彼の様子が気になってしょうがない。
無意識のうちに、どんな些細な変化も見逃すまいとしている。
まるで小学生くらいの子供のようだ。
好きな子の動向が気掛かりで仕方なく、つい目で追ってしまうという、そんな行為に似ているかもしれない。
我ながら、なにをやっているのかと思う。
また一方で、子供の頃にできなかったことを遅まきながら経験するのも悪くはない、とも思う。
着替えを終えた京介は、リビングへ戻って窓を開け、ベランダに出た。
ちゃぺが追い掛けてきそうだったので、急ぎ窓を閉める。階下に落ちたら大変だから、外へ出すわけにいかない。
そしてタバコを咥え、火をつけた。
ゆらゆらと紫煙が立ち昇り、夜の闇の中へ吸い込まれるようにして消えていく。
それにしても、このところ冬香は本当に大人びて、色香まで顕著に出てきた。
篠宮と、前に辰巳も言っていたが、その通りだと実感する。
それが恋をしていることに起因するのならば、その相手が自分だと思うと、なんだか誇らしげで光栄な気分だ。
もし恋が成就したら、彼はもっと魅力的になるかもしれない。いや、きっとなる。絶対なる。
冬香が一層美化する様を、誰よりも近いところで眺めていたい。間違いなく至福を味わえるだろう。
(―――ああ、またか……)
また、できもしないことを考えてしまった。
彼と一緒にいると、つい現実を忘れてしまう。叶わない夢を見てしまう。
だが、それも悪くない……と思いつつ、ゆっくり紫煙を吐き出した。
その頃、浴室では、バス・スツールに座って熱めのシャワーを全身に浴びながら、冬香が困り果てていた。
(なんで……? なんでだよ……?)
何度もこすり、散々いじった。それなりに気持ち良く、あと少しで出そうな感じがする。
だが、その先へは一向に進まない―――進めない。
どちらかといえば早いほうで、それほど長くは掛からない体質だ。
だから、いつも入浴ついでに短時間で簡単に済ませられた。
なのに、今夜は違う。なぜこんなにも手こずってしまうのか?
できることなら諦めたいが、分身が硬く反っていて、このままでは収拾がつかない。
なんとかして出さないと、辛さが募るばかりだ。
「ったくもう……」
忌々しく呟き、冬香は改めて自身を握った。
瞼を閉じて脳裏に浮かべるのは、あの美顔だ。
そして、優しいキスをくれる形のいい唇と、よく髪を撫でてくれる大きな手、長い指。
もう何ヶ月ものあいだ朝と晩に見ているというのに、未だ見慣れない綺麗な裸の上半身。
白い肌、適量の筋肉をまとった腕と胸、見事に引き締まった腹、広い背中―――
段々息が上がってきた。次第に波が押し寄せて来るのがわかった。
しかし、もう少しというところで止まってしまう。やはり先に進めない。
(……あー、もー、参ったぁ……)
前は、どんなふうに自分を慰めていただろうか?
考えたが、思い出せない。思い出せないくらい、長いことやっていない。
(でも、なぁんか足りねえみてえな気ィすんだよなあ……)
イクための、なにかが。
それが一体なんなのかは、よくわからないけれど。
いや、考え事をしている場合ではない。
とにもかくにも、さっさと済ませなければ。
そうしないと、風呂場から出るに出られない。
冬香は再び自慰を始めた。
また彼のことを思い浮かべ、その姿をなぞる。
「きょおすけ………きょおすけ………きょおすけ……」
いつの間にか名前を連呼していた。自然に口をついた。
だが、やはり絶頂感は間近に来ない。少しだけ遠いところでとどまっている。
(くっそぉ、もうヤダよぉ……カンベンしてくれぇ……あ?)
突然シャワーが止まったので、冬香は反射的に顔を上げた。
カランに大きな手が掛かっているのが見える。
ギョッとして振り返ると、背後に長身が立っていた。
(きょ、きょおすけっ!―――なんでっ!?)
そう思うが、驚愕のあまり声にならない。ただ双眸を剥くだけだ。
「すまない。おまえが中々戻って来ないから様子を見に来た。
一応ドアの外から声を掛けたんだが、返事がないんで勝手に開けて入った」
(ウソッ……!)
そんなの知らない。全然聞こえなかった。没頭していたせいか。
「……い、いつからっ?」
ようやく声が出た。
屹立した股間を隠すために身体を丸め、続けて問う。
「いつから、見てたわけっ……?」
「おまえが俺の名前を呼んだあたりだ」
「っ……!!」
冬香は耳まで真っ赤になった。次いで、瞬時に青ざめた。
美顔を直視していられなくなって、思わず顔をそむける。
「ご、ごめんっ……おめえを、オ……オカズに、しちまって……っ」
それが一番効果的だと思ったから……なんて、言い訳にもならない。
だから、ひたすら謝罪するのみだ。
「ごめんっ……ホントごめんっ……」
「謝らなくていい。俺で良ければ、なんにでも使え。それより、イケないのか」
「―――……」
しばし間を置いて、冬香は小さく頷いた。本気で泣きたくなってくる。
すると京介は、冬香を後ろから抱き上げ、膝の上に乗せると同時にバスタブのふちに座り、彼の脚を開かせた。
「え……え? な、なに?」
「イカせる」
「っ! やっ、い、いいよっ」
冬香は暴れた。
「ホ、ホントいいからっ。ちゅーとハグで充分だからっ。んなことまでしてくんなくていいってばっ。
他人のチンコなんか触りたくねえだろうがっ」
「当たり前だ」
もがく痩身を、京介が難なく押さえつける。
「だが、おまえのなら構わない」
「え―――」
「じっとしてろ」
「っ……!」
直に握られ、たまらず冬香は息を詰めた。
だめだ。もう達しそうだ。さっきまでは、どうやっても出せなかったのに。
でも、なんだろう? ほしかったものを与えられたような、そんな感じがする。
(もしかして、足んなかったのって、これ……?)
京介の感触? 京介の熱?
つまり、彼を思い浮かべるだけでは物足りなかった、ということなのか?
大きな手が上下に動き始める。
「う……う―――くっ……!」
あっけなく怒涛に飲み込まれ、すぐに冬香は吐精してしまった。
やっと解放されて楽になったのだが、それより恥ずかしさのほうが何倍も大きい。
顔から火が噴き出してしまいそうだ。
「―――もう1度か」
「え……? あ……」
言われてみれば、まだ萎えていない。いまだに熱く、芯が通っている。
冬香はうろたえた。
(な、なんでっ……? おかしいよ、こんなのっ……)
だって今までは、いっぺん出せば事足りたのだ。それで満足したし、熱も引いた。
だから2回以上欲したことも、やったこともない。
「この際だ。もっと出せ」
静かに言って、京介が手淫を再開した。
「やっ―――あ……っ」
達した直後ゆえ、過敏になっているのかもしれない。
指先で撫で上げられただけで、ビクビクと激しく震えてしまった。
そして先端をくすぐられると一気に鳥肌が立ち、双珠を揉みほぐされると更に大量の蜜があふれ、
全身を握り込んで本格的に扱かれると体内を電流が駆け抜けた。
ものすごく感じる。たとえようもなく気持ちいい。たまらない。
「んぁ……うっ……きょ、すけ……っ……あ……んっ……」
ひどく高揚していた。身も心も、異様に高ぶっていた。
もっとほしい。この男がほしい―――
冬香は真上を向き、両腕で京介の頭を抱き寄せた。
次いで荒々しく口づけ、自ら舌を差し込む。すでに羞恥は欠片もなかった。無我夢中だった。
さすがに驚いた京介だが、それが冬香の望みなら、拒むつもりは毛頭ない。
彼のやりたいようにやらせるため、受け身に徹することにする。
しかし、最初のうちだけだった。舌を入れたまではいいものの、
そのあと中々思い通りにできなくて冬香が焦れたため、京介がリードせざるを得なくなったのだ。
正確には、不器用なキスが愛しくて、つい主導権を奪ってしまった、というべきかもしれない。
深く唇を合わせ、淫らな音が上がるほど熱烈に舌を絡める。
次いで角度を変え、口内を余すところなく舐め尽くしてから、強く優しく吸い上げた。
吐息混じりに冬香が喘ぐ。
「んっ……う……っ―――ぅん……っ……は……ぅ……」
やはり悩ましい声だと京介は思った。
初めて冬香の自慰の手助けをした晩よりも艶が増しているように感じるのは、決して気のせいなどではないはずだ。
癖になりそうで、ちょっと怖い。―――いや。たぶん、もうなっている。
突然キスが中断された。
「……え……?」
冬香は瞼を開け、潤んだ瞳で美顔を見上げる。その目つきも官能的だ。
「な、に……? なん、で……?」
「声が出せなくて苦しそうだからだ。思い切り出したほうが楽だろう」
「や、だよ……もっと、ちゅー……ちゅー、してえ……」
「わかった」
改めて口づけが与えられた。一段と激しくて、意識が飛びそうになる。
手淫もまた濃厚で、これでは長く持たない。そろそろ限界が近い。
「―――んっ……! くっ……! んんっ……!!」
間もなく訪れた2度目の絶頂は、最高の快感だった。きっとキスのおかげだ。
ぐったりと脱力して広い胸に背中を預け、荒い呼吸を繰り返す。
顔ばかりか全身まで、ほんのり赤く染まっている。その様は妙に艶めかしい。
京介にシャワーで下半身を洗い流され、後始末が済んだあとも、冬香は中々動けなかった。
一向に余韻が消えない。体内で甘い痺れが漂っている。それも心地好い。
(……けど、なんか変……)
こういう行為を知っているような気がする。
初めてなのに、前にも同じ経験をしたことがあるような―――
「大丈夫か」
「ん……? うーん……」
どうだろう? よくわからない。
しばらくして、ひとつ大きく息を吐いた冬香は、膝の上で方向転換して京介のほうを向き、
彼の腿を跨ぐ格好で座り直し、ひしっと抱きついた。
「……あの、さ」
京介の胸に顔をくっつけたまま、かすれ気味の声で告げる。
「あんがと……って、言うべきだよな、やっぱ……」
「言わなくていい」
「……おめえは? 出してえ……?」
「いや、別に」
「……でも……」
「いいんだ。気にするな」
「―――するよっ……するに決まってんじゃんっ……」
絞り出すように言って腕をほどいた冬香は、片手で美顔を抱き寄せ、咬みつくようなキスをした。
同時に舌を差し入れ、迷いつつも積極的に動かす。
そうしながら、もう一方の手を下のほうへ移動させ、京介の部屋着のズボンの中に突っ込み、彼の中心をしっかりと握った。