AGITATION〈2〉
自動ドアを通って店内へ入ると、受け付けカウンターの女性が笑顔を見せた。
「いらっしゃいませ。ご予約のお客さまですか?」
「えっと、2時間くらい前に電話したんだけど、シノちゃんは? いる?」
「はい、早乙女さまですね? 少々お待ちください」
カウンターから出た彼女は、急ぎ足で店の奥へ入って行き、間もなく男性を伴って戻って来た。
その男性は肌が浅黒く、精悍な顔立ちとアッシュ・グレイの短髪を持ち、
中肉中背の身体を黒尽くめの服で包んでいる。年令は30代後半くらいか。
冬香の姿を認めるやいなや、彼は破顔して白い歯を見せた。
「やあ、久し振り。待っていたよ。よく来てくれたね」
やや低くて太い声と、聞く者に好印象を与える穏やかな物言いだ。
冬香のほうは、なぜかポカンと口を開け、目をまん丸にしている。
「……え?―――あ……あぁ、うん、久し振り」
戸惑った様子で首をひねりながらも、言葉を返した。
「申し訳ないが、別の部屋で待っていてくれないか。すぐに行くから」
「……うん、わかった」
受け付けの女性に案内され、ふたりは店の一角にある個室へ向かった。
移動する際に見えた店内は、かなり広い。
暗めの赤を基調にしたシックなインテリアの中、等間隔に並ぶスタイリング・チェアは合計12席。
その全部に客が座り、それぞれの傍らに立つ美容師がカットやブローなどをしている。
適度な音量のBGMと談笑する声が混ざり合い、耳障りにならない程度ににぎやかだ。
通された個室も相応に広かった。やはりスタイリング・チェアがひとつ置かれ、
その前に大きな鏡があり、ほかには豪華な装飾品や応接セットが置かれている。
どうやらVIPルームであるらしい。
女性が退室したあとも、冬香は依然しきりに首をひねっていた。
怪訝に思い、京介が問う。
「どうしたんだ、さっきから」
「だって、変なんだもんよシノちゃん。めっちゃくちゃおかしい」
「どこがだ。いたって普通だっただろうが」
「だから、フツーなのが変なんだってば。あんなんじゃなかったのにさ」
どういうことだと京介が問おうとしたとき、ノックの音が響いた。
そして開扉され、男性が現われる。
ドアを閉めた彼は、先程までとは別人の如くデレッと形相を崩し、
なんとも人懐こい笑みを見せ、足早に冬香に近付きながら両腕を広げた。
「ほ〜んと久し振りね〜、ふーちゃん。会いたかったわ〜。元気だった?」
口調もまた先程とは別人だ。声まで若干高くなっている。
「うあ〜、良かったあ。いつものシノちゃんだあ。
雰囲気も喋り方もまるっきり違うから、なんかあって性格が変わっちまったのかと思ったぜえ」
ほっとしてニコッと笑い、冬香が彼とハグを交わす。
そういうことか……と京介は思った。
「しょうがないのよ、仕事中は。しっかり公私を使い分けないと従業員に示しがつかないもの。
いやな気分にさせちゃったかしら? ごめんなさいね」
「ううん、ビックリしただけ。やっぱ、こっちのシノちゃんのほうが断然いいや」
「うふふ、ありがと。さあ、顔をよく見せてちょうだい」
ハグをほどいた彼は、冬香の頬を両手で挟み、覗き込んだ。
「相変わらず可愛いわね〜。お肌もとっても綺麗だわ〜。でも、ちょっと痩せたかしら?
そのせいか少し大人っぽくなって、なんだか色気まで出てきたみたいね」
「あー……それ、ほかのヤツらにも言われたなあ」
「やっぱり? じゃあ間違いないのよ〜」
冬香の額にチュッと音を立ててキスしてから、彼は京介を見やった。
「こちらが、電話で言ってたルーム・メイト?」
「うん、冬野京介っつうの。
きょおすけ、この人がシノちゃんだ。本名は、えーっと、しの……しの……あれ? なんだっけ?」
「
「こちらこそ」
篠宮が片手を差し出したので、京介は握手に応じた。
「それにしても、すんごいハンサムさんだわね〜。最初に見たとき驚いちゃったわよ。
おまけに、なんて綺麗な黒髪。ただ、全体的に毛先が不揃いね。そのままじゃもったいないわ。
冬野くんも少し切りましょうか?」
「いえ、結構です。それより、冬香のカットに掛かる時間は」
「30分くらいよ。そこのソファーに掛けて待ってていただける?
お茶を用意するけど、なにがお好みかしら?」
「いえ、外に出て来ますので。近くに本屋はありますか」
「本屋? ええ。このビルを出て左に行って、15メートルくらいのところに」
「どうも」
京介は冬香に視線を移し、
「あとで迎えに来る」
と言い残し、篠宮に軽く会釈して、個室から出て行った。
「……気を遣わせちゃったかしら?」
「つうか、シノちゃんとオレをふたりっきりにしてくれたんだと思うぞ? ゆっくり話ができるようにって」
「あら、そういう子なの?」
「うん、そういうヤツだ。んもうハンパなく優しい」
「……ふふっ」
「あ? なに?」
「いいえ、なんでもないわ。―――ふーちゃん、お茶は? なにがいい?」
「ううん、いらねえ。出掛ける前にコーヒー飲んできたから」
「じゃあ早速始めましょうか。さあ、座って」
冬香はスタイリング・チェアに腰を下ろし、後ろから篠宮がケープを掛けた。
「いつも通り、スタイルは変えないで短くするだけでいいのね?」
「うん、ヨロシク。
……あのさ、さっきチラッと見たけど、いっぱい客いて混んでたじゃねえか。
予約入ってなくてヒマだなんて、なんでウソこいたわけ?」
「本当のことよ。もう従業員に任せて大丈夫になってきたから、
アタシは昔から懇意にしてくださるお客さましか担当してないの。おかげで楽になったわ」
「ふうん、そっか」
「ふーちゃんこそ、引っ越し先まで出張するから呼んでって言っといたのに、水臭いわよね。
わざわざお店まで来てくれなくても良かったのよ?」
「だって、さすがに悪ィじゃん、やっぱ」
「そこが水臭いって言ってるのよ」
鏡越しに篠宮に軽く睨まれ、冬香は苦笑して首をすくめた。
「ところで、おじいちゃまと高木さんはお元気? ハルくんとナツくんは?
アキはどうしてるの? 最近、会ったりした?」
「うん、みんな元気。変わりねえよ。アキちゃんとは先月ちょっと会った」
「そう。アタシも久々に会いたいわね〜。時々電話で喋るくらいで、もう2年近く顔を見てないもの。
学生のときと違って、仕事を始めてからはプライベートな時間を作ることも難しくなっちゃったわ〜」
ふと冬香は思い出した。
篠宮と秋斗は中学・高校の6年間ずっと同じクラスに在籍し、一緒にアメフト部に入っていた、と何年か前に聞いたことを。
また、篠宮は自分がゲイであると子供の頃から自覚していたこと、
専門学校で知り合った男性と長いあいだ同棲していることも、前に本人から聞いた。
「……なあ、シノちゃん」
「なあに?」
「……ちょっと、変な質問しても、いっかな?」
「あら、どんな?」
「えっと……男同士の……その……あの……なんつうか……」
手を止めた篠宮は、鏡越しに冬香を見つめ、にっこり笑んだ。
「男同士のセックス、かしら?」
「……うん、まあ……」
「そういう話ならアタシの管轄だわね。さすがにアキたちに訊くわけにはいかないものね。
どうぞ、なんでも質問してちょうだい」
小さく頷き、冬香は睫毛を伏せた。
「だから、えっとぉ……痛くねえ方法とか、ねえのかなって……」
「ああ、アナルのこと? それは時間を掛けて少しずつほぐすしかないわよ。
そもそもペニスを挿入するための器官じゃないんだから」
(うわぁ……シノちゃん、表現がストレートすぎだよぉ……)
聞いているほうが恥ずかしくなってしまう。
(けど、そんじゃ参考になんねえなあ……)
もし苦痛を軽減させる方法があるなら教えてもらい、万が一の事態に備えておければ……と考えたのだが、無駄だった。
残念だ。
「なあに? 痛みが激しくて、彼とのセックスを楽しめないの?」
「へ? 彼?」
「冬野くんよ。ふーちゃんの恋人なんでしょ?」
ボッと火がついたように冬香は真っ赤になった。
「や〜だもう、可愛いったらないわね〜。そんなに照れないでよ」
「やっ……あのっ……だってっ……」
「隠さなくていいから。ふーちゃんが冬野くんを好きだってこと、見ていて察しがついたもの。
それに、痛くないようにセックスする方法を訊くってことは、もう両思いになってるってことじゃない。
ほかに解釈のしようがないわよ?」
(うっ……)
言われてみれば、確かにそうかもしれない。自ら暴露したようなものだ。
我ながら浅はかだった。考えが足りなかった。
だが、まあいい。篠宮は非常に口が堅く、他人のプライバシーを決して口外しない人間だ。信用できる。
そうでなければ、あんな質問などしなかった。
(けど、誤解なんだよなあ……)
両思いなんて、とんでもない。一方的に想いを寄せているだけだ。
それを、きちんと説明すべきだろうか?
でも、ではなぜセックスに関することを訊いたのだと尋ねられたら、答えに困る。
強姦され、また犯されるかもしれないからだなんて、口が裂けたって言えない。
(……しゃあねえ。こりゃ、誤解のまんまにしとこう……)
「冬野くんって、元々ゲイじゃないんでしょ?」
「あ、うん、違う」
「そうよね。そういう感じは、まるでしないもの。
だったら上手くできなくても仕方ないでしょうけど、無理にアナルを使うことはないんじゃない?
根っからのゲイ同士のカップルだって、必ずアナル・セックスをするとは限らないのよ?」
「え……そうなのか?」
「ええ、人それぞれなの。手や唇や舌でも充分に愛し合えるしね。
要は、相手を喜ばせたいっていう気持ちよ。なによりも、それが大事だと思うわ。
セックスは快楽を分かち合うものなんだから」
「……ふうん」
快楽を分かち合う―――冬香は心の中で反芻した。
そういえば、夏休みに実家へ帰ったとき、京介と全裸で触れ合う夢を見て夢精してしまったことがある。
どっぷり落ち込んで最低の気分だったが、夢の中の行為は快感だったと記憶している。
(……できりゃ、ゴーカンなんかされる前に、きょおすけ本人とスケベなことしたかったな……
夢ん中でやったみてえにさ……)
そうしたら、多少なりとも免疫ができて、正気を失くすほど混乱しなかったのではないだろうか?
外へ逃げ出さずに済み、彼に心配させることも、あちこち探し回らせることもなかったかもしれない。
(……や、違う。そんだけじゃねえ……)
自分は京介がほしいのだ。性的な欲求があるのだ。
挨拶のキスではなく、ちゃんとしたキスがしたい。
単なるハグではなく、もっとしっかり抱き締めたい。彼の体温を素肌で存分に感じてみたい。
口での奉仕だって全然いとわない。いかんせん経験がないので下手くそだと思うけれど、一生懸命やる。
それで京介が喜んでくれれば、自分も嬉しい。
合体は、やはり痛くて苦しいだろうが、なんとか受け入れる。相手が彼なら、どんなに辛くたって我慢できる。
ひとつになれたら、きっと最高に幸せだろう。
(―――げっ……! ウソッ……!)
冬香は内心、ひどく慌てた。いつの間にか下半身が変化を起こしていたからだ。
(うっわ〜、想像しただけでコレかよぉ……オレってヤツァ、ったくもぉ……)
欲求不満なのだろうか? なんだか泣きたくなってくる。
とにかくケープを掛けられていて助かった。これで篠宮に気付かれない。
「―――ねえ、ふーちゃん」
「え? な、なに?」
「ふーちゃんと冬野くんの関係、アキたちは知らないのよね?」
「あ……うん。同居人としか思ってねえはずだけど」
「じゃあ、もし悩みとかあったら、アタシに言ってちょうだい。
どんな話でも聞くし、できる限り協力するから。ね?」
「うん、あんがと」
篠宮の前では、京介を好きなことを隠す必要がない。
そう思うと、とても気が楽だった。
カットが終わったとき、ちょうど京介が戻って来たので、冬香は篠宮に礼を告げてハグを交わし、店から出た。
すでに外は暗い。
夜の街を少し歩き、ふたりはタクシーに乗り込んだ。
「……どうした。なんだか、そわそわしてないか」
「え? あ、や、別に、なんともねえよ?」
京介の問いに笑顔で答えた冬香だが、なんともなくない。困っている。
実は、もうとっくに下半身の高ぶりは鎮まったものの、まだ股間の奥で熱がくすぶっているような感じがするのだ。
ほんの少しの刺激があれば、すぐまた反応してしまいそうな。
(あー、クソ、ダメだ……。帰ったら風呂場に直行だな、こりゃ……)