SEQUEL<9>




「ねーちゃん、これなに? なんて曲? 誰が歌ってんの? アレンジは?」

「え、曲? って、いま店の中で流れてる曲のこと? ええと、CD―――いえ、有線ね。
あたしにはわからないわ。こういうのは趣味じゃないのよ。ちょっと待ってて、電話して訊いてみるから」

「あの、俺、知ってます」

彼女の後ろにいるアルバイトの若者が言った。

「“×××”というバンドのデビューアルバムに入ってる『△△△』という曲ですよ。
作詞・作曲も編曲もプロデュースも、ルイ
湯浅(ゆあさ)がやってます」

「……!」

冬香の双眸が大きく見開かれた。

「ああ、その名前なら、あたしも聞いたことあるわ」

「最近すごいですからね、出す曲がみんな大ヒットして」

「―――あ、ふーちゃん?」

「悪ィ、また来るっ」

外に飛び出した冬香は、マンションへ直行し、エレベーターに駆け込んだ。
京介が追い掛けて来て、一緒に乗り込む。

「どうした」

冬香は答えない。双眸を異様に光らせ、唇をきつく咬み締め、ぶるぶると全身を震わせている。
怒り心頭といった様子だ。

部屋に着くと、リビングのコンセントで充電してあった携帯電話を取り、手早くボタンを押した。
ちゃぺがソファーの上で、何事かと首をかしげた。

「もしもし、ハルちゃん? 今いい?」

声も震えを含んでいる。懸命に怒りを抑えて話しているのだ。

「あのさ、湯浅ってヤツ、憶えてっか? 音楽プロデューサーの。……うん、そう。
あのヤローの事務所、どこだっけ? 場所がわかんなかったら名前だけでもいいや。
オレ、どっちも忘れちまってさ。ハルちゃん、憶えてる?」

喋っているうちに我慢できなくなり、一気に怒りが爆発する。

「どうもこうもねえよっ!! あんのクソヤロー、“KA−FU”の曲パクりやがったんだっ!!
今さっき有線で流れてたっ!!“×××”ってバンドのデビューアルバムに入ってんだってっ!!
タイトルも歌詞もアレンジも変えてたけど、間違いねえっ!! ありゃ絶対オレたちの曲だっ!!
………あぁ!? 確認する必要なんかねえよっ!! 確かにオレたちの曲だってばっ!!
どんなに変えてたって聴きゃあすぐわかるさっ!! オレが間違えるわけねえだろ、カズミの作った曲をっ!!
………だから、なに確認するってんだよっ!?………もういいっ!!」

冬香は電話を切り、その場に座り込んで頭を抱えた。う〜、と低く唸った。

固定電話が鳴り出したので、京介が取る。

「はい」

『冬野くん? 初めまして。早乙女 春弥といいます。冬香の兄です』

「初めまして」

案の定、ほかのふたりの兄と声質が似ている、と京介は思った。

『弟は、まだそこに?』

「はい」

『事務所の場所と名前を必死に思い出そうとしている、のかな?』

「そのようです」

冬香は依然、頭を抱えて唸っている。

『さっき電話で弟が言ったこと、きみは聞いていたのかい?』

「はい」

『それなら、大まかな事情は把握したよね?』

「はい」

『申し訳ないが、俺が連絡するまで、弟を外へ出さないようにしてもらえないだろうか。
多少手荒な方法を使っても構わないから、絶対に』

「わかりました」

『ありがとう。よろしく頼みます』

冬香が勢い良く立ち上がり、リビングから出て行こうとしたので、
京介は急いで受話器を置き、彼の腕をつかんだ。

「どこへ行く」

「コンビニだよ! バイトのにーちゃんに訊いてみる!
詳しいみてえだったから、どこのレコード会社に所属してるのか知ってっかもしんねえ!
レコード会社に行きゃあのヤローの居場所がわかるはずだっ!」

「部外者に教えるわけないだろう」

「だったら締め上げるさっ! 教えてくれるまでブン殴ってやるっ!」

「取り押さえられて警察に通報されるだけだ」

「じゃあ待つよっ! クソヤローが現われんの、ずっと外で待つっ!」

そんな会話を交わしながらも冬香は京介の手を振り払おうとするが、
それはまったく離れない。すごいチカラだ。

「邪魔すんなっ! 頼むから行かせてくれっ!」

「だめだ。おまえの兄貴がなんとかしてくれる。連絡が来るのを待て」

「待てねえよっ! 放せったら! あぁ、もうっ!―――くっそおっ!!」

いきなり冬香は京介に殴り掛かった。顔を狙った。
だが、その拳は簡単にかわされてしまう。

それでもまだ攻撃する気満々なので、仕方なく京介は冬香を個室へ押し込み、
ドアを閉めて背中で押さえた。閉じ込めたのだ。

「てめえっ!! なにしやがるっ!! 開けろっ!! 開けろってばっ!!」

ドンドンと両手で何度も叩くが、もちろん扉はビクともしない。

「盗まれたんだぞっ!? オレたちの曲なのに他人が自分の曲だっつって発表したんだぞっ!? 
そんなの許せるわけねえだろっ!? あのクソヤロー、絶対ボコボコにしてやるっ!! もう半殺しにしなきゃ気ィ済まねえっ!!
なあ、きょおすけっ!! わかってくれよ、頼むからっ!!」

その気持ちは理解できる。腹が立つのも当然だと京介は思う。
しかし、だからといって行かせるわけにはいかない。
冬香が湯浅という男に会って殴ったところで、なにも解決しないのだ。傷害事件になるだけだ。

間もなく、扉を叩く音と振動がピタリと止まった。
諦めたかと思いつつ、京介が少しだけ開扉して中を覗くと、冬香が窓を開け、そこに片脚を掛けていた。

(あの馬鹿!)

素早く駆け寄り、後ろから痩身を抱きすくめた。

「なにをやってる。ここは5階だぞ。死ぬ気か」

「こっから出るしかねえだろっ! おめえが開けてくんねえんだからっ!
あのクソヤローブッ飛ばすまでは死なねえよっ! 死んでも死にきれねえっ!」

(まったく……)

やむを得ず京介は、細いうなじに一撃を加えた。もちろん加減を忘れずに。

瞬時に気を失ってカクンと脱力した冬香を、抱き上げてベッドに寝かせていると、ちゃぺがやって来た。
とがめるように睨みつけてきたので、

「心配ない。気絶させただけだ。じきに目を覚ます」

と説明した。

問題は、目覚めたあとだ。
きっとまた外へ出て行こうとして暴れるだろうから、それをどうやって阻止するか。
今のようなことは何度もやりたくない。肉体のどこかに衝撃を与えて意識を奪うというのは、実は結構危険だからだ。
かといって、安全に気を失わせる方法など、ほかにありはしない。

(俺の言うことを聞いて、おとなしくなってくれれば一番いいんだが……)

しかし、たぶん無理。それは恐らく叶わないだろう。




予想通りだった。数十分後に気付いた冬香は、何度か頭を振って意識をはっきりさせると、
すぐ起き上がってベッドから下り、京介の静止を無視して部屋から飛び出して行こうとしたのである。

仕方なく京介は、痩身をベッドに押し倒して片腕で押さえつけ、
もう一方の手を伸ばして枕元から杏酒のボトルを取り、それを口の中に含んだ。
そして冬香の顎をつかみ、口移しで強引に飲ませた。

「っ!?―――んっ! んん〜〜〜っ!!」

驚きながらも抵抗するが、もちろん無駄だ。腕力では到底敵わない。
細い喉が、ごくんと鳴った。

「……て、てめっ!! なにすんだよっ!? ふざけんじゃねえっ!!」

その抗議を聞き流して京介は再び酒を口内に入れ、同じことを繰り返す。

「……や、やめろってばっ!! 気は確かかっ!? ちょっとオイ―――」

また唇で唇を塞がれ、無理やり甘い酒を送り込まれる。

ボトル1/3ほど飲まされた頃には酔いが回り、足掻けなくなってしまった。
目つきがトロンとしている。

「こ、このヤロォ……一体どういうつもりだよォ?」

「おまえを行かせるわけにいかないんだ」

「だから動けなくさせたってのかァ? わざわざ酒まで用意してェ?」

「これしか無難な方法がなかった」

「また二日酔いになったら、どうすんだよォ。あんなのはゴメンだぞ、もォ」

「飲み過ぎなければ大丈夫だ」

「……オレ、行くからなァ。絶対絶対、行くからなァ」

仰向けていた身体をなんとか引っくり返し、うつ伏せになって両肘を立て、そのままズリズリと前進を始める。

京介はベッドに腰掛け、冬香を抱き寄せて膝の上に乗せ、両腕で拘束した。
それでも、まだ彼が弱々しく反抗するので、また酒を飲ませることにする。

「や、ちょっ―――」

再び数回、口移しを繰り返した。

元々赤くなっていた冬香の顔が、真っ赤に染まる。一段と酔っ払った。

「てめェ、いいかげんにしろよォ」

「それはこっちの台詞だ。いいかげん諦めろ」

「できるわけねえだろ、んなことォ」

そして尚も起き上がろうとするが、さすがに不可能だった。まるで芋虫の如く、ノソノソともがくだけだ。

「……あー、もー、くっそォ」

ようやく観念したらしく、ついに動かなくなる。京介の膝の上で、ぐんにゃりと突っ伏した。

「ウソつきィ。オレが行きてえとこ、どこでも連れてくって言ったくせにィ」

「場合による」

「なんでェ? こりゃオレ個人の問題で、おめえにゃ関係ねえじゃんよォ。なのに、なんで止めるわけェ?」

「絶対に外へ出すなと、おまえの兄貴から頼まれた」

「兄ちゃんに頼まれたら、なんでも言うこと聞くのかァ?」

「まさか。そのほうがいいと俺も思ったから引き受けたんだ」

突っ伏したまま、冬香は額に手を当てた。

「う〜、目ェ回るゥ……」

「すまない」

「謝るくらいなら、最初っからすんじゃねえよォ。酒なんか飲ませんなァ」

「そうだな」

「……や、違う、ごめん、オレが悪ィ」

京介の膝に顔を押し付け、弱々しく告げた。

「おめえが謝るこたあねェ。オレのためにやってくれたんだからさァ。
ホントは、オレに酒なんか飲ませたくなかったんだろォ? でも、しょうがなく、だろォ?
ヤなことさせちまったなァ。おめえも辛かったよなァ」

「気にしなくていい」

こういうときの冬香は実に鋭い、と京介は実感する。
こちらの気持ちを正確に察してしまうのだ。普段の鈍い彼とは別人のように思える。

ちゃぺがやって来てベッドに駆け上がり、
己れの鼻先を冬香の頬に何度もこすりつけた。大丈夫? と問うように鳴きながら。
それまで室内の隅にいて、じっと成り行きを見守っていたのだ。

「あー、ちゃぺもごめんなァ。心配させちまったなァ」

冬香は身体の向きを変えて横臥し、愛猫を抱き締めた。
その額に数回キスをしてから、ぼんやりと視線を泳がせる。

「ホントはさァ、もっとカッコいい曲なんだよォ。ストレートなロックなんだァ。
なのに、あんな趣味の悪ィアレンジして、安っぽいダンス・ナンバーなんかに変えやがってェ。
しかも、ギターは薄っぺらな音だったし、ボーカルは甲高いだけの耳障りな声じゃねえかァ。
ふざけんなよ、コンチクショー」

そして、ゆっくり瞼を伏せた。長い睫毛が頬に影を落とす。

「……アイツが知ったら、どう思うかなァ? なんて言うだろォ? なんにも言わねえかなァ?
黙って苦笑いするだけかもなあァ。めちゃくちゃ穏やかなヤツだからさァ。
―――あァ、違うなァ……」

首を心持ち左右に振った。

「んなことねェ。きっと怒るよォ。普段は穏やかだけど、音楽に対してだけはガンコだし、妥協しねえもんなァ。
顔は笑っても、ハラん中じゃ怒るはずだァ。うん、絶対、間違いねェ。
だから、オレが怒んなきゃァ。アイツの分まで、怒んなきゃなんねェ。
だって、アイツ、もういねえんだもんよォ。怒りたくても、もう怒れねえんだもんよォ。
オレが、オレが殺しちまったんだからァ……」

「―――」

「オレがバカだから、とんでもねえ大バカだから、死なせちまったァ。
大事なヤツなのに、一生守るって決めたくせに……カズミィ……」

長い睫毛の陰から、つっと涙が流れた。
それと同時に、言葉もこぼれ始める。
言うな、やめろと、もうひとりの自分が告げるけれど、止まらない―――止められない。


   <了>